芝居を手にした黄兎の日々

芝居を再び手にした私が繰り広げる、やや外れた日々。
でも、きっと面白い日々に違いない。
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ひとつのジャンルに3つの好きを

こんにちは、のとです。
えみてんの稽古も真ん中くらいでしょうか?
まだ1ヶ月も時間はあります。

そんな中でパンフレットの撮影とか小道具の準備とか
舞台美術とか、やることは山積みなわけですが
思ったよりも追い込まれていません。
すごい!(笑)

目下、パンフレットの撮影準備に追われているのですが、
どんなコンセプトにするかとか仕上がりイメージとか
細かく方向を定めるのも悩みつつ楽しいです。

そんな中で、「自分の好きなもの」っていう話に
なりました。それで思い出したのが、劇団の養成レッスン
だったかで言われたこと。
たぶん声優の安達さんの授業だったと思うのだけれど
(うろ覚え)、

「1つのジャンルやモノに対して、好きなものを
 3つ見つける」

っていう話があって、それは今もずっと思っているなぁ
とふと思いました。

小説だったり音楽だったり、アーティストだったり、
映画や舞台やアニメや漫画や雑貨やブランド...。
そういったものひとつに対して、好きを3つ。
これって意外と難しいと思うのですよね。
これを聴いたとき、私は自分の好きをすぐに決められる
ジャンルが少ないってちょっとびっくりした記憶が
あります。

いざ好きかどうかを決めたり答えるって、それなりに
数を知らなきゃいけないし、実際に触れなきゃいけない。
1つならまだしも、3つを持っているっていうのは
結構多く知らなきゃいけないんじゃないかなって
思っています。

今答えられるのもそんなに多くはないと思います。
作家さん、漫画家さん、小説、漫画、アニメ、声優さん、
役者さん、芸人さん、お菓子、食べ物、飲みもの、
服のブランド、動物...など...。
もしかしたら答えられるものもあるかもしれないけれど、
ぱっと思いつくまでになっていないってことだと
思います。

一時期クラシックとか好きなものを増やしたいなぁと
思って聴いてたこともあったり(笑)
自分の興味の範囲外のものの好きを作るのって
難しいなぁって思います。
それでも、自分の周りにいる人からの影響って
結構あって、最初は興味がなくても何となく
見て行ったり、連れて行かれたりすると面白くなって
きたり。そういうのを沢山くれる周りの人って
大事だなぁと思いました。自分からそこに興味を
もったりできないだろうなぁとか。

ちなみに今増やしたい「好き」は、
脚本家、シリーズ構成、原画(すべてアニメの)を
担当されている方。(ピンポイントすぎる...)
今結構気になっています(笑)
それから映画は結構観ていると思うんだけど、
なかなかずっと好き、何回も見たい、っていう作品が
自分の中でない感じなので、そういう作品を
見つけられたらいいなぁと思っています。
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ブログに感想を書くということ

こんにちは、のとです。
立て続けにお芝居を観に行って、その感想が
やたらめったらブログに並ぶようになりました。
(まだ感想書いてないやつもあるけど)

特に地元のアマチュア演劇の感想なんかは、
需要があるのか、公開直後はそれなりに
読んでいただけているようです。

私が文章に観劇の感想を残し始めたのは、
まだブログというものが生まれる前の時代でした。
その当時は、自分のHPに養成所の稽古日誌を
書いていて、そのついでに、観劇したお芝居の
感想も残していたと思います。
その後、日記サービスみたいなのが登場して、
ようやくブログが生まれます。

そして、私が観劇の感想を書こう、と思ったのは、
大学時代の演劇サークルのある先輩のお蔭だと
思っています。

役者をやっていて、お客さまからのアンケートに
自分のことが書いてあるというのがどれほど
嬉しいことなのか、役者さんならわかると思います。
それが良い点でも悪い点でも、アンケートに自分の
名前が(あるいは役名が)書かれているというのは
私はとても嬉しいです。
特に、私は演劇を始めた当初から、あまりアンケートに
自分のことを書かれたことがありません。
他の役者さんは沢山名前が書かれているのに、自分の
名前はそこに登場しない。それがどれだけ悔しいことか、
それもわかる役者さんがいるかもしれません。

そんな中、演劇サークルの先輩で、アンケートの表裏に
びっしりと、ひとりひとりの感想やアドバイスを書いて
下さる方がいました。新入生、新人で演劇をはじめた
私にももちろん書いてくれて、それがとても嬉しかった
のを覚えています。
それまで、自分がやったことに対して、誰かがレスポンスを
くれるということ、自分を観ていてくれるというという
ことをあまり感じなかったので、それがどれほど素敵な
ことなのか気が付いていなかったのです。

もちろん、ダメ出しも書いてあったし、それを受け止める
のに一所懸命でした。それでも、その時も上手くなりたくて、
その先輩にまたアンケートを書いてもらえるように、と
頭の片隅で思いながら公演を重ねていきました。
そうなんです。やっぱり、上手くなりたいから、
次はもっと良くなるようにっていう思いがあったわけです。

このことがあってから、私もアンケートは沢山書くように
しました。色々観劇した先々でアンケートを最後の方まで
残りながら書いていました。

そんな中で、感想を書くにあたって、こうしたらいい、
みたいなものを目にしたことがありました。

「なぜ面白いと思ったのか、なぜつまらないと思ったのか。
 それを具体的に言葉で言えるかどうか。
 そして、どうすれば自分が面白いと感じるのか。」

それまで、「面白かった」「つまらなかった」「眠かった」
みたいな感想しか書けなかったわけです。
その文章を見たときに、きちんと自分がどう感じて、
何を面白いと思うのかわかるようになりたい、と思いました。
また、観た作品の評価の適当さも自分で見極められるように
なりたいと思うようになりました。

だから、私のブログの感想は、これがずっとベースになっています。

・感想を沢山書いてもらうことは嬉しい。
・名指しで(あるいは役名で)感想を書いてもらうのは嬉しい。
・自分にとっての面白い、つまらないを
 具体的に言語化できるようになりたい。
・作品の評価を適当にできるようになりたい。

大体この4つが私が感想ブログを書いている理由です。

昔の感想と比較すると、多分その当時よりもずっと具体的に
書けるようになってきていると思います。
何が面白かった、何がつまらなかった、こうしたら私は
面白いと思う。これについても、昔に比べたら具体的に
なってきているんじゃないかと思います。

昔よりも感想が甘くなってきた、毒が薄くなってきた(笑)
と言われることもあり(笑)、昔から読んでくださる方は
本当にありがたいというか、こんなに付き合ってくれて
ありがたいなぁ(笑)なんて思うこともあります。

ただ、この感想は、私が自分の考えを整理するためのもので
あり、自分のために書いているものです。
だから、この個人の、のとえみのブログ以外ではここまでの
感想は書きませんし、Twitterでも、ブログを投稿した時
にしか流れません。こんな辺鄙なブログをわざわざ
ブックマークしたり、Tweetを細かくチェックしてくれたり
していないと、基本的にこのブログには来ないと思っています。
見たい人だけ見に来ている、という認識です。

そんなブログに来てくれる方は本当に稀有な方だと思うし、
きっと、この感想が必要だから来てくれているんだと
思っています。耐性がない方や、私の性格を知らない人、
会ったことのない人には、こいつは何をこんな書いているんだ
という風に捉えられるというのも重々承知しています。
そのための前置きはしているつもりです。
...それでも読んでくれる人がそこそこいるようなので、
皆さん凄いなぁくらいに思ってます。

けれど、あくまでも私個人の、私のためのメモ書きのような
ものです。感想に対するレスポンスも期待していませんし、
そもそも不要です。どちらかというと、書かれた人同士や
集団内で、「あいつになんか腹が立つことを書かれた」
「よく知りもしないのに好きなこと言って」みたいに、
グチを言い合う材料にしていただくのが一番いいんじゃ
ないかとは思っています。(むしろ、そんな感じではけ口に
でもしてくれるのはいいと思います。)

ちなみに、アンケートからブログでの感想に移行したのは、
単純に時間が無いからです。
終演後の5分10分で書ける量ではありません。
(見ていただけるとわかると思いますが)
出来るだけ自分の考えをまとめたいのと、できるだけ
伝わり方に齟齬が生まれないようにしたいというのも
あります。また、伝えるための文章力を付けたい、という
文章の練習でもあります。
せっかく感想を書くのだから、アンケートだけだと、
その劇団の方々にしか読んでもらえないっていうのもちょっと
勿体ないなという思いもあったり。

そして、書く時は、褒めるとダメだしのバランスをちゃんと
とるということ。基本的に、お客さまからのアンケートって、
褒める事しか書かれていないと思っています。
だから、お客様にたくさんほめてもらえばいいと思います。
また、私はお客様の「面白かった」「よかった」が最終的に
何よりも正解だと思っています。
けれども、中にはそれだけでは満足できない役者さんが
いるかもしれません。そんな人にだけ、おまけのような形で
このメモ程度の感想を使ってもらえばいいと思います。
ありがたいことに、過去にはこのブログから自分のお芝居を
観に来てくれる方や、応援してくれる方、観劇にご招待
してくれた方もいらっしゃいました。だから、まあまあ
役に立つこともあるんだなって思っています。
たぶん今も、ある程度この感想を判断材料のひとつに
してくれているかたもいるかもしれません。

結構厳しい言い方ですが(これでも昔よりは本当に甘く
なったのですが)、その中にも「愛がある」と言ってくれる
方や、「読み物として面白い」と言ってくれるかたもいます。
私の言っていることが全て正しいとは思っていません。
私の感想に対して、自分はこう思う、こうじゃないか、
共感など、また新たな観劇の愉しみが増えてくれたら
素敵だって思っています。
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観劇と読書は私の中で似ている

最近は真面目にこちらのブログも更新しています。
演劇を観たりもしていますね。頑張っています。(笑)
ですが、人気のあるブログ記事はどこかに行った
レポート記事ばかりという(笑)
検索などから辿り着いた人で奇特な方がいましたら、
演劇の記事を読んでくれたりしたら嬉しいです。

そんな、自分のブログも更新しているわけですが、
ついつい、えみてんのブログで長い
文章を書いてしまったり、書いている途中で
白熱してきてしまって、小難しくなって
しまったりして反省しました、最近。

えみてんのブログは、演劇に興味がない方でも、
なんとなくサクッと読めて、えみてんに興味を
もってもらって、でも演劇のこともちょっとずつ
知って行ける、というような記事を書こうと
自分では思っています。
スマフォで読んでいる方が多いし、写真と
ちょっとした文章で気軽に読めるものにしたい
という自分の中の線引きですね。

それが長々と、しかもそんなこと興味ないよ、
みたいな事が書かれていたら微妙だな、と
気が付いたわけです。ついついそういう感じの
記事を書いてしまったので、慌てて自分のブログに
戻ってきて、こうやって書いているわけです(笑)


そして、今回メモしておこうと思ったのは
twitterにもメモしていただけれど、このこと。




立て続けに録画してもらった舞台を観たのですが、
その時に思ったのが、

「あ、この演劇を面白いと思うところ。
ストーリーとか展開じゃなくて、私は
キャラクターの感情とか心情とか、
そういうものを感じ取って、受けて自分の心が
動いたり感情移入したりするのところなんだな。

そして、この楽しみ方は私の中で読書と同じか、
それにとても近い。」

ということでした。


本を読むのが(文章全般かも)速いとよく言われ、
本当に読んでいるの?と思うかもしれません。
昔ブログにも書いたことがあると思うのですが、
(読書をつなげる、演劇へ
 http://yellowrabbit.jugem.jp/?eid=701
 感情をとって読む
 http://yellowrabbit.jugem.jp/?eid=1534

私の本の読み方は感情をとって読む、です。
これは戯曲を読むときもこういう読み方をする
ことがあります。

録画した舞台を観ていた時に、「あぁ〜何だかこの
感覚は知っているなぁ。観劇なんだけど、これは
読書の時の感覚っぽいかも〜」とふと思いました。

観劇も、私はストーリーは二の次で(なぜなら、
昔教わった作、演出家の方に、「ストーリーを
追いかけるということは、他に観るところが無くて、
物語を追いかけるしかなくなったからだ」という
風に言われたことがあったから)
登場人物の生の感情などを見るのが好きだから
だと思います。

演劇を観ていた時に、これって、読書の時は、
自分で立体に起こして、あるいは自分の中に感情が
生まれたりして疑似体験しているけど、観劇は
目の前でそこまでを代弁してくれて、それに自分が
影響されることなんだなと思ったわけですね。
その時に、私はどっちも(観劇も読書も)好きなのは
こういう所なんだろうなぁと思いました。

映画があまり好きではないのは、どうしても
ストーリーを見せられている感じがするからなのかなぁ。
物語が面白いかどうかというよりも、そこに生きている
人間が面白いかどうかの方が私には大事なのかも
しれません。

そんなことをふと思って考えたのでメモメモ!
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多分あなたに観てほしいんだと思う

劇団フロンティアの公演「はだしの青春」の千秋楽まで、
一日、一日を確実に過ごしています。思ったよりもやることが
あったり、準備があったりしてゆっくりするほどでは
ありませんね(笑)

お芝居でアウトプットしているので、ブログに書くに至るまでの
ものってなかなか生まれないなぁと思ったり、twitterやFacebookで
ちょこちょこ思ったことを書いているので、それで終わって
しまったり、というのも結構あったりします。
今となってはいいのか悪いのか、という気もするのですが、
それでもブログに書きたいな、って思うボリュームのことが
生まれてくるのはいいことだなって思います。


さて、これはブログに書いておきたいなって思ったことは、
昨日Facebookに書いたのですが、言葉が少ないというか、
簡易的にああ書いてしまったけれど、これについては
ちゃんと書いておきたいなということです。



たまに関東等の小劇場界隈で、
「演劇関係者同士で観劇をし合って動員を回している」
というようなことが話題に上がります。
これは私も良く感じていたことで、役者の友達同士で
チケットを買いあっていて、純粋なお客さんってどのくらい
いるんだろうなぁって思うこともありました。

そういう思いは今も全くなくなったということは無いのですが、
この狭い富山県で言えば、演劇をやっている仲間や関係者が
興味を持つような、同じ演劇をやっている人たちが観てみたい
と思うようなものをまず作りたいな、ということって必要
なんじゃないかなって思うんです。

富山県ってちょうどいいと思うんですよね。
演劇をやっている人たちも大体把握できる人数ですし、
行こうと思えば反対側でやっている公演にだって行く事が
できる。演劇関係者同士でお互いの公演を観にいったとしても、
1回分の客席を関係者だけで埋められるような人数でも規模でも
ない。

星の数ほど役者がいて、劇団があって、集団があって。
そんな関東の事情とは違うと思うのです。
だから、まず県内で演劇に関わっている人たちが観に行きたい、
観たいと思うレベルのものをつくるって大事だと思うんです。
そういう、同じ演劇をつくっている人たちにまず認められたい、
っていう気持ちもすごくあります。

やっぱり他のお芝居を観に行っても、
「あぁ、やっぱりあの人も観にきてるんだな、注目してるんだな」
とか、
「滅多に観に行かないと思っていた人だけど、この劇団さんの
お芝居は観に来るんだな。やっぱりいいんだな。」
とか。
観に来ている人をついつい私なんかは見てしまいます。

だから、あんまり観劇に行かないんじゃないかなっていう人が
観に来てくれるととても嬉しいし、あぁ、あの人に観に来て
もらえて本当に嬉しいなって思ったりもします。

逆に、自分もそうでありたい。
出来る限り私は県内の演劇を観に行きたいって思ってるけど、
観に来てほしいって思って欲しいし、自分なりの観点で
作品や役者さんを見られるようになりたい。

もちろん、観られる側になったときも、
あの人だから観に行きたいとか、
あの役者さんがどんな風に演じるのかが気になるから行くとか
そんな風に思ってもらえるような役者でいたい。

全然知らない、友達でも知り合いでもないお客様が、
私を観たいから舞台を観に来た、というのもとても嬉しい。
そういうお客様が実際に居てくれて、その度にあぁもっと、
そのお客様が観に来てよかった、ファンになってよかったと
思えるようにもなりたい。

よくばりかもしれないけど、どちらも大事で、どちらも私に
とっては必要で、だから多分一所懸命でいられるんだと思う。

そして、観に来た人が、面白い、楽しい、良かったって
思うと同時に、役者さんだったら、自分だったらどう演じよう
とか、どの役だったら自分はできるかな、とか、
そんなことを考えたくなるような羨むような舞台を作りたい。
舞台や演技に隙があったからそう思ってしまった、ではなく、
素敵だったから、自分も立ちたいからそう思ってしまう、
考えてしまう舞台をつくりたい。

私は結構観に行ったら、自分はどの役だったらできるかなとか、
自分らしく演じるとしたらどう演じるかというのを考えて
しまいます。それもすごく勉強になるし、観て考えることで、
自分の幅も広がるんじゃないかなって思っています。

演劇に関わりの無いお客様だからこそ楽しめる楽しみ方、
演劇に関わっているからこそ楽しめる楽しみ方。
どんな楽しみ方をするかはそれぞれだけれど、演劇って
自分でやっていなくても、観ても楽しいって思います。

もう何度も何度も舞台に立ったり観にいったりしているけれど、
その度にこんな風に思うことが多く、強くなってきているなぁ
って思います。

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気持ちを変える感覚

新しい稽古が始まって、前は上手く感覚が開かなかった
というか、なんかしっくり来ていない所があって、
このままで芝居の感覚が戻るかなぁと思っていたのですが、
作品の質なのか、一緒に演じる役者さんなのか、芝居の質なのか、
最初にしては前回とは違う感じになってとりあえず
安心しています。

次の公演の準備とかバタバタしていて、芝居の事を
ぼんやりと考える時間もなかったのですが、ようやくそんな
余裕がでてきたかなぁと思っています。
それでぼんやり考えてたのがこれ。




この前の稽古で、「そっちじゃなくて、こっちでやって」という
時がいくつかあって。稽古をしていると良くあることなんじゃ
ないかなと思います。
それについて、一緒に芝居をしている役者さんから、
台本を読み込んで何パターンも用意するとはこういうこと
なんですね〜と言われて、あぁ、そうなんだ、と実はその時
初めて思ったくらいでした(笑)

前は、この「AじゃなくてBでやって」と言われた時、
結構気持ちを切り替えるのが大変だった記憶がありました。
お芝居を始めた頃って、これが超えられるかどうかって
大きな差だったなぁって思います。

こんな感じで違うのをやって、と言われた時って、

・自分では変えているつもりだけど変わっていないと言われる
・変わっているけど、ほとんど差が無い
・言い方を変えているだけ、それではない

っていうことを言われることが多いんじゃないかなって思います。
私も最初はそうだったし、こういわれている人も沢山見てきました。

第三者から見て、ようやくこれを抜け出せたんだなぁって思った
のと同時に、これが出来るようになって、そのやっている感覚も
変わってきたかもしれないと思いました。


前は、「気持ちを変える」、と自分の中で結構意識して、
意識を大きく、感情を大きくしてやっていたけれど、
最近は左に向いていたのを右に向く、くらいの感覚で
切り替えられるようになってきたかもしれません。
以前よりは気持ちの作り方が大きくなくても切り替えられる
ようになってきたなぁと思います。

気持ちを切りかえている感じだったけれど、もしかしたら
今は、この人はAという行動ではなくてBという行動をする、
というくらいの意識の変化でできるようになってきて
いるのかもしれない。

居場所に入ること、っていうのもずーっと昔に言われて、
それも気になっていたけれど、動いたりする中で、
あぁ、違うな、この場所にいるのも変だし、この距離感も
違うかもしれない、みたいな感覚があって。
もちろん感情とかでもその居場所っていうのはあるんだけど、
物理的になにか違うなって思ったときも、目にその距離感が
見えるというか、何か違って見える様な、そんなときも
多くなってきたと思う。

そういう小さいことなんだけど、そういうことが塵も積もって
稽古を構成しているというか、稽古の中で凄く感じるというか、
本当に面白いなぁと思います。あと、他の役者さんに助けられて
いる部分が凄く大きいんだなっていうのも良くわかる。
空気のでき方とか、あ、これは私が作ったものじゃないな、とか、
そういうのを感じると、他の役者が凄いんだなって思う。
その空気をちゃんと自分も受けるというか、壊さずに一緒に
その空気を作れるかとかって本当に難しい。
でも、それを稽古で感じて共有できて、ようやくスタートなの
かなぁとも思ったり。

まだ最初の稽古なんだけど、色々と見えて面白いなぁと
思ってます。他の稽古場って私知らないけど、他の役者さんが、
この、今の稽古場の方が面白いなとか思えるくらいだったら
嬉しいよね。




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「台本をどう読んでいるか」をできるだけ書く

自分以外の人に「台本を読む」ということを話す場合、
立ち返って、それは自分がどう読んでいるかということを
意識せざる負えないのでは、と思いついた。

そんなわけで自分が台本を読むとき、どう読んでいるかを
整理してみようと思います。


最初に台本を読むときは、自分がどの役を演じるか決まって
いないことが大半です。上演候補として読むときは、自分なら
どの役になりそうかというのを頭の片隅に置きながら読む
こともあります。

私は読むのが結構速い方で、繰り返し何回も読むことが多いです。
1回で集中してじっくり読む派の天神さんとは逆かもですね。


1回目は、役が決まっていないこともあり、展開(ストーリー)
を把握して終わることが多いかもしれません。
その中で自分に引っかかってくる役(感情移入しやすい、
感情を取りやすい、共感しやすいなど)があれば、その役を
ちょっと贔屓目に置きながら最後まで読みます。
誰が主人公か、どのキャラがどういう役割をするのか、というのも
最初の読みでざっくりととります。

この最初のイメージを私は結構大事にします。
繰り返し読んだり、演じはじめると、迷ったり、どんなキャラに
したらいいか悩んでしまうことがあります。そういうときに、
この最初に読んだイメージに一回立ち返ってリセットする
という時に最初のイメージがあるととても助かります。

最初のイメージにこだわり過ぎると自分の表現の幅を狭めて
しまうのですが、大きく見て、最初のイメージが間違っている
ということがあまりないので、一応基準にしています。

最初に読み合わせをするときは、この最初のイメージを
自分で表現できるかどうか、くらいの意識です。
それが大体できるようなら、次からは最初のイメージを
越える表現が出るように挑戦していきます。



2回目にしっかり読むのは、役が決まってからです。
役が決まってからは、その役を中心に読みます。

最初から最後まで、自分の演じる役の感情の変化をとります。
何かしらどの役にも作品の中で成長があると思っているので、
「最初はこうだったけど、最後はこうなった」
という点に注目します。
これがとれると、演じるときに凄くやりやすいので。
脇役だと丁寧にその変化が書かれていないことが多いので、
間を埋める作業が必要だな・・・と覚悟します(笑)

ずっと出ているということは台本上あまりないので、
自分の出番があるシーンで、自分はどんな役回りで、どんな
ことをしなければならないのか、というのもざっくりとります。

・次のシーンへの布石
・最後のシーンを成立させるために必要
・雰囲気を前のシーンと変える
・自分の役の気持ちが前のシーンから変わる

などなど、ざっくりと、
「このシーンで自分は何をしなければならないか」
ということもこの辺りでとります。
天神さんの読み方でいう所の「客観」という視点でしょうか。

また、お客さんからこのキャラクターはどう思われたいか、
というのもこの辺りでざっくり考えます。

・嫌われてはいけない
・共感されるキャラであって欲しい
・最初はむかつくと思われても、最後は同情して欲しい

などなど。この辺は、天神さんの読み方でいうところの、
「客席からの目線」というのに近いかもしれません。

この後は、実はあまり自分の役割についてはあまり考えません。
あまり決めすぎると、演出さんの視点と食い違っていた時に
自分の考えを修正できなくなるからです。
ざっくりと方向性を決めるくらいにして、あとは演出さんの
言葉から推測したり、すり合わせをしたりして決めていきます。



3回目以降は、かなり具体的に、細かく台本を読みます。
ここからは延々と同じことの繰り返しです。

台詞のひとことひとことを区切って、どの感情かを
ひたすらとります。これを全部の台詞に納得いくまで
繰り返します。

これかな?これかな?と思うものをいくつか持って
稽古場に行きます。稽古場にいったら台本を読んで感情を
探すことはしません。稽古場には台本を読んですくった
感情を持って行きます。それを実際に稽古してみて、
その方向でしっくりきたらひとまずOK。
ダメだったらもう一回やり直しです。
自分が予想しないしっくりくるものが稽古の間に出たら
とても嬉しいです。
稽古場は色々試す場所なので、試せるものを持って行く、
というのが大事かなと思っています。


稽古を沢山していると、感覚とか感情が麻痺してきて、
どうしても新鮮じゃない芝居になっていくことがあります。
一番それが怖い。
そういう時は、相手を見ることにしています。
相手をみて、相手の芝居を受けて出たものを信じる。
相手の芝居を受けても同じものしかでないときは、
相手も同じ状態かもしれないですが、大抵は自分の受け方が
甘い時です。言葉の音色、表情、しぐさ、絶対に前と
同じということはありません。どこかにヒントがあると
思って、細かい所まで集中してみます。
そうすると、新鮮な芝居になるような気がしています。

こっちも参考までに。
「受けて、返す」の中で私がどうなっているかを出来るだけ書く
http://yellowrabbit.jugem.jp/?eid=1670



複数の視点から見て演じることも大事ですが、わたしは
そんなに器用ではないので、自分の役の感情を中心にしています。
客観的な視点は、演出さんがこうして欲しいと言ってくれる
事が多いので、そこはかなり頼ります。
演出さんがしたいことに自分の役を寄せたり、感情の流れとか
きっかけとかを調整します。
途中で方向転換する場合もあるので、プランは少なくても2つ
用意するようにはしています。自分と合う演出家さんだと、
大体この2つでなんとかなります(笑)

基本的に、私は自分の芝居をあんまり信用していないので、
相手の芝居から感情につなげるようにというは意識しています。
(できるとは言ってない)
自分で考えた感情は思い込みかもしれないですからね。
実際相手から発せられた言葉を聞いた時の方が、衝撃は大きい
ですし。

あと、演出さんから言われたことは、とりあえず「やってみる」。
やってみて出来るかできないかは演出さんにゆだねればいいと
思っています。

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声と言葉と身体と気持ちが欠けないで

先日、桜舟剣遊会さんの見学&ちょこっと練習に参加を
させていただきました。
運動も苦手だし、殺陣も大学のサークルの時に付け焼刃で
やったくらいなので、できるかな〜・・・という感じで
おっかなびっくりになってしまいましたが、参加させて
いただきました。

相変わらず、引き出しが無いことに関しては、頭で完成系を
イメージしながらじゃないとできないんだなぁと思ったり(笑)
ダンスもそうだけれど、ふり覚えが本当に悪いし引き出しが
ないなぁ(笑)と思いながら参加していました。


何の因果か、3月の公演が終わってから、演劇ではないものに
触れる機会の印象が強くありました。

この前は、声だけで演技をするという機会。
今回は、身体だけで演技をするという機会。

演劇ではないものに触れて、私は本当に演劇がやりたいんだなぁ
って改めて強く思いました。

声と言葉だけでは満足できないし、身体だけでも満足できない。
声と言葉と体と感情。
それがすべてある演劇が私は好きで、どれか一つが欠けても
だめなんだなって思いました。
演劇から離れてみて、あらためて演劇が好きなんだって思いました。

本当は、声だけの活動も、殺陣も、ダンスも、歌も、
何でもやりたい。できるものなら全部やってみたい。
けれども、私は昔からずーっと言ってるんだけど、
何かをやり始めたら、絶対にそれが上手くなりたいって思うし、
上達するため、教えてくれる人に失礼にならないために、
全力でそのために時間を使ってしまう。
簡単に「気軽な気持ちで楽しんでやればいい」っていって
誘ってくる人もいるんだけど、私は絶対にそんな気軽気持ちで
「楽しい」って思えない。
全力でやって、時間を使えるだけ使って、上達して、
できないことが出来るようになって初めて「楽しい」って思う。
私の「楽しい」はそんな楽しいなのです。

だから、何かを始めてしまった結果、演劇が疎かになってしまう
のが本当に嫌だ。ただでさえ、演劇のこともしっかりできない
というのに、その他のことに時間を使ってしまうなんて勿体ない。
他のことに没頭してしまって、演劇ができなくなるのは本末転倒
だと思う。

本当に色々なことを最近体験させてもらって、ありがたいなぁって
思ってます。今だからこそできることなのかもしれない。

今新しいことを始めているけれど、もっと早く始めていればって
いう気持ちも一瞬よぎったりしたこともあるんじゃないかなって
思う。でも、もっと若い時だったら、ここまで自分の意図通りに
できなかったかもしれないし、技術や演技や人間が伴っていなくて
上手くいかなかったかもしれない。
色んなものがすべて合わさって、一番いいスタートが今なんだって
思う。本当にそれはそう思う。

与えられる機会を大切に。時間を大切に。
今できることを全力で大切に。
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感情が決まれば勝手にキャラクターボイス

今日は、自分の引き出しの少なさに向き合うという過酷な
作業をしてきました(笑)いやー、時間にしたらたった
2時間なんだけど、自分の出来ることの少なさ、狭さに
びっくりしますよね、わかっていても(笑)

それでも大人になったのか、昔よりも全然がっかり感はなくて、
あぁ、思ったよりも昔よりちゃんと形になってるなぁという
感じでした。出来るだろうと思うことが30点から60点になった
くらいなんだけど、目に見えて違いが判るというのは
面白いなと思いました。

そんな短い作業の中だったけれど、ひとつひとつやっていく
内に、自分の引きだしの少なさに驚くわけです。
思ったよりもできることのバリエーションが少ないし、
演じるキャラクターの声が全然思い浮かばない。(笑)

この台詞だったらこんな声してるだろうなー、という
自分の想像、引き出しがめっちゃ少ないんですよね。
3つくらいしか思い浮かばないもの・・・。


そんなわけで、キャラクターを演じるときは、声のイメージから
つくる、ということをちょっとだけ放棄しました。(笑)
自分のイメージがはっきりしているキャラクターと、そうでない
キャラクター。読み込み不足なのももちろんある。
でも今すぐにやらなければならない。

じゃあどうしようか、と思った時に、とにかく
「感情だけ先にとる」というやり方にしました。
この台詞の感情はどうか、どう切り替わっていくか、
それだけをとにかくやる。
感情がちゃんととれていれば、そういう感情を出してしまう
キャラクターであったり、声の、感情の音色は出てくるだろう、
と考えたわけですね。

そんなわけで、今日は15個くらいキャラクターをやったわけ
ですが、そのうちのいくつかは、自分の中にイメージを
つくらないまま、感情だけをとってやってみました。
自分でも思いがけない声が出たり、感情がスムーズにいったり、
ちゃんと文章が読み込めていなくて感情がとれていなくて
なんかぐだぐだになったり。(笑)
そういうのができて、面白かったです。

私は最初に声ありきでキャラクターをやることが多かった
けれど、こんな風に感情を決めて演じれば、声って勝手に
でてくるんだなぁと改めて思いました。
もちろん、「こんな声のイメージでやって欲しい」っていう
ものがあれば、それが優先になるんだけれど。

舞台でも、最初は声から作るっていうやり方をしてた
時もあったんだけれど、その価値観を変えようと思って、
すごく頑張った時期がありました。
これって、自分の価値観を変えればやめることができるん
ですよね。自分の声があんまり好きじゃなかった時があって、
その時に、こういう声じゃないとキャラクターにならない、
こういうキャラはこういう声じゃないと、自分の地声や
素の声ではこのキャラクターにならない、っていう
思い込みがありました。

それを、自分の地声や素の声でも、演劇、舞台なんだから、
動きや感情、声以外の部分でちゃんと表現することができれば、
声はどんなでも大丈夫だ、っていう価値観に変える。
まだ声を気にしてしまうことがあるけれど、昔よりは
このキャラクターだってこんな声を出すんだとか、
かわいいキャラだけど、この自分の声でかわいいキャラとして
成立させられるっていう自信がちょっとずつでてきたから、
価値観が変えられたのかなと思っています。

今日の作業は出来上がったら皆さんにも見ていただけるかも
しれないので、もし見ていただけるようであれば楽しみに
していただければなーと思います。

私的には、割とどれも自分と声のキャラクターとのギャップは
なかったですが、聞いていた人にとっては、イメージに無い
ものがあったみたいで、何か新しいものを見せられてよかった
なーと思いました。自分でそういうこともやっていたので、
自分ではやったらやったで出来るんだけど、そんなに自信が
ないし、恥ずかしいのであまり表に出していなかっただけです…。
すいません。(笑)それで興味を持ってくれる方がいたら
嬉しいなと思います。

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職業役者卒業からの趣味役者

最近演劇関係の役者さんとか制作者さんとか演出家さんの
twitterをフォローしているのですが、ためになる言葉や
これ私も思ってた!というようなtweetがあって、
刺激を沢山もらっています。

県内のアマチュア勢に、きっとこの方は知らないだろうなとか
この記事いいんですよ・・・というのを紹介できる機会にも
なって、個人的にはいいなと思っています。

これはいつか記事として書いておきたいなぁと思ったものが
あったので、メモしておこうと思います。







個人的には、職業としての役者目指していて、諦めて
地元で演劇をやっている勢なので、プロの目線でもこういう
考えの方々がいて嬉しいなと思っています。

その反面、実際の田舎にUターン演劇したものとしては、
いやいや、都市部と田舎じゃ状況が違うんですよ、奥さん、
という気持ちもあります。


■稽古に人が集まらない

職業役者を目指していて、諦めて地元にUターン演劇
したわけですが、まず最初に地元の劇団、稽古を見たときに、
あまりにも人が集まっていないという現状に驚きでした。

20時半稽古スタートなのですが、時間通りに集まっているのは
キャストの半分にも満たないというのが現実でした。
そのあと21時くらいになってようやく人が集まってきて稽古。
終わるのは22時半くらいです。

本当にこれで大丈夫なの?というのが感想でした。

それまで稽古と言えば時間通りに開始し、稽古し、自主練を
するのが当たり前だったので、これで本当に今まで自分が
やってきたくらいのものをつくれるの?と心配になりました。

それから9年ほど経ちましたが、少しずつ改善されて、
今は20時半集合で、ほとんどのキャストが集まる環境にまで
なりました。
どうしても遅れる人は、ほとんどが仕事か家の事情です。
お休みに関してもそうです。
それがアマチュア劇団としては通常起こりうることとして
思っていてほしいと思います。
多分私の所属している劇団だけでなく、仕事をしながら
演劇をやっている劇団さんではこういうことって何かしら
起きていると思います。県内でもチラチラそういう話は
聴きますしね。

必ずしも全部の劇団がそうとは限らないし、市民劇団は
しっかりしていると思いますので、全部が当てはまるとは
思いませんが。

また、役者や作品にもバラつきがあります。
全員がうまいわけではない。オリジナル脚本が面白い
かどうかもわからない。

昔、私がUターンする前にも、元プロの役者さんが劇団に
入りたいときたらしいのですが、その方も自分の思っていた
ものと違っていたようで、かなり辛辣な言葉を残して
いったという話も聞いています。私以上になんか、凄かった
らしいです。(笑)


■人が減っていく

なかなか演劇を続けていくのがやはり難しいという話は
よく聞きます。特に家庭の事情でUターンされる方が
多い印象なので、親御さんの面倒をみながら演劇をする
というのは相当大変なようです。
また、結婚を機に戻られた方は、嫁ぎ先等の理解が
得られなかったりすると続けられない、子供ができると
やはり続けられない、といった環境になってしまいがちです。

なので、人は減っていきます。
その分劇団に入ってくれる人もいるので、結果的には
現状維持、という形になるのかもしれません。

また、地元で演劇を若い時からやっている方も多く、
その方が50代〜60代になっても続けているという劇団も
県内には見かけます。
そういった方の想いと、Uターンして演劇を続ける人の
価値観ってやっぱり違う部分もあると個人的には
思っています。

演劇以外で、そういう部分を思いながら活動していか
なければならないという所もあります。
世代の価値観の違いで無くなってしまった劇団もあるとか
噂は聞いています。
本当にやりたい演劇ができるかどうか難しい所です。


■それでもUターン演劇して欲しい

私が地元に戻るとき、同じように都市部で演劇をやって
居た人が地元で続けていける様な集団をどこかでつくって
起きたい、というのは思っていました。
私も下手だけど、この人とだったらギリギリ一緒に
やってもいい、そんな役者になって、同じような役者さんの
帰る場所を作れたらいいなってずっと思っています。

プロでやってたのに、夢破れて帰ってきたって思われるのが
嫌だとか、そういう思いって少なからずあると思うんですよね。
そういう思いにならないように、地元にいい劇団があるって
聞いたから、そこでやっていくのも悪くないかなって思って、
って言えたらちょっとは救いにならないかなって思うんですよね。
胸張って地元で演劇を続けてほしいって思っています。

だから、富山出身で戻らなきゃと思っているけれど、
きっかけがないとか、戻る予定だけど演劇できる場所が
ないんじゃないかなって思っている方がいたら、戻る前に
一回みに来てほしかったりするよね。いい劇場持ってるし、
うちはアマチュアですが。(笑)

市民劇団とかでも、経験者って凄く重宝されるし、そういう
人がいるだけでも作品の質がぐっと上がる気がしています。
今年でひとつ市民演劇がなくなってしまうけれど、
色々劇団も県内さんは知っているので、合いそうな劇団も
紹介しますし、続けるっていうことを最初から諦めないで
もらえたら嬉しいなって思っています。

そう思うと、私が続けることって大事だなって思います。
続けていれば、そう思ってUターン演劇をしてくれる人が
増えるかもしれないですしね。

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「受けて、返す」の中で私がどうなっているかを出来るだけ書く

今回の記事はタイトルの通りです(笑)

芝居を「受けて、返す」。
基本としてやって、っていうのは簡単ですが、
じゃあ一体、その受けて返すをやる中で一体
具体的にどんなことが役者の中で起こっているのか
っていうのを出来るだけ書きたいと思います。

これが合っているかどうかも分からないし、
私が書いたことが伝わるかどうかも分かりませんが、
とりあえず書いてみようと思います。

著作権的にも丁度良いテキストが思いつかないので、
適当に作った文章を使います。


A「すいません」
B「はい」
A「道を教えてほしいのですが」
B「ええと」
A「公園に行きたいのです」
B「ええ。ここをまっすぐいって右です。」
A「ありがとうございます」
B「どういたしまして」



私は「B」をやることにします。
句読点や感嘆などは自由につけることが可能とします。

設定が変わると受け方も変わりますので、違うパターン
でどうなっているか書いてみたいと思います。


設定1:初めてAさんに道を聞かれた。初対面。

A「・・・すいません。」
 (丁寧に、おそるおそる聴く)

 後ろから声を掛けられたイメージで、まずふりむく。
 声を掛けてきた人をまず見て、返事をしても大丈夫そうか
 判断。何を聞かれるのかわからないですが、初対面なので
 無下にも出来ないし、相手も下手に出ている風なので、
 とりあえず返事をしても大丈夫そうだ、と思って出す、はい。

B「・・・はい。」


A「道を教えてほしいのですが」
 (何となく申し訳なさそうに)

 私が教えられる場所なのか判断しかねるが困っている
 ようだし、どうしようかと思って出す、ええと。

B「・・・ええと」

A「公園に行きたいのです」
 (行きたい場所を告げるA)

 公園ならしっているのでほっとした、ええ。
 知っているという安心感、教えるという立場を
 外さないように出す、ここをまっすぐいって右です。

B「ええ。ここをまっすぐいって右です。」

A「ありがとうございます」

 無事に案内ができたので気持ちよく送り出す、
 どういたしまして。

B「どういたしまして」


という感じです。


合間に書いたものが、台詞を出すときに思って気持ちを
つくる、私の中で起こっていること、です。

これは自分の台詞の時にではなく、相手が台詞を
しゃべっているときに、頭の中で起こっていることです。
相手の台詞の中で、自分の感情の変化を起こせる言葉が
出てきたときに、気持ちを動かします。
あるいは、相手の台詞中〜自分の台詞がでる直前まで
起こっていることです。


 公園ならしっているのでほっとした、ええ。

であれば、相手の台詞に「公園」という単語が出てきたときに、
「あ、よかった、それなら知っている。」という安堵で
あったり、得意げになる気持ちだったりを、起こします。
頭でわかっているつもりでも、実際にそういう気持ちを自分に
呼び起こして、本物の気持ちを瞬間的につくるわけです。
これは言葉で言うよりは、練習を重ねていく方がよいのでは
ないかと思います。

理屈がちゃんとわかっていて、こういう風に芝居をしたい、
というのが固まっている人は、それを念頭に置くけれど、
その自分で作った芝居のイメージは捨ててください。
実際に起こる感情は、そんなイメージの範疇におさまるもの
ではないと思います。
そのイメージでしか芝居ができないと、
「準備した芝居」「ひとりで完結している芝居」になって
しまうんじゃないかと思います。

そういう人は、その考えを持つ、実際に稽古で台詞を
いう時は、「そういう気持ちになる」「気持ちを起こす」
という部分に集中して、心を動かす練習をしたらいいと
思います。心を動かすには、相手の台詞を聞いて、聞いたこと
に対して、頭が働いて、気持ちにつなげる。
それをするのが稽古だと私は思います。

その気持ちをつくるのが、最初は30秒かかっていて、
変な間が出来てしまった状態であったら、稽古でそれを
丁度いい、例えば1秒とか、そういう短い時間で気持ちを
つくって出せるようにします。それも稽古だと思います。

そういうのを台本の全編に渡って行います。


では、もし、シチュエーションが違っていたらどうなるか。
別の設定のパターンで書いてみます。


設定1:Aさんに道を聞かれた。同じ日に3回目。

A「・・・すいません。」
 (丁寧に、おそるおそる聴く)

 後ろから声を掛けられたイメージで、まずふりむく。
 声を掛けてきた人をまず見たら、またまた同じ人。
 さっきも声を掛けてきて道を教えたのに、なんで?
 という、はい。

B「・・・はい。」


A「道を教えてほしいのですが」
 (一応申し訳なさそうに)

 え?今まで2回も教えたよね?え?また?
 という気持ちでだす、ええと。

B「ええと」

A「公園に行きたいのです」
 (行きたい場所を告げるA)

 さっきも教えたじゃん!もう3回目だよ!?
 という気持ちがありつつも、一応丁寧に教えるか、
 という気持ちで出す台詞。

B「ええー・・・。ここをまっすぐいって右です。」

A「ありがとうございます」

 一体なぜ簡単な道のりなのにこうなってしまったのか
 不可思議に思いつつも、今度こそは辿り着いてくれと
 思う気持ちで出す、どういたしまして。

B「どういたしまして」


という感じです。
設定が変われば、Aさんの芝居が同じだったとしても、
Bの反応(芝居)が変わってきます。

また、Bのキャラクターによってや、演出によっては、

B「ええー・・・。ここをまっすぐいって右です。」

という台詞は、笑いながらだったり、ちょっとキレ気味だったり
というキャラクターの味を出すことも出来ると思います。

設定と前後の関係などをちゃんと読み解いて、それを芝居に反映
させるのが本が読める、ということだと私は思います。
本が読めてないよ、というのは、台本上に書いてあることで、
役やシチュエーションを成立させるためのものが掬い取れていない、
ということかなと思います。読み取れていたら、本は読めてるけど、
芝居につながっていないとか、表現力が足りない、っていう
言葉になると思いますしね。

実際に芝居を観てもらった方が、表情の変化とかで気持ちが
今作られているとかそういうのが分かりやすいかもとは
思いますが、文章でもなんとなく伝わったでしょうか?

今は簡単な文章でやりましたが、これが台本となると急に
難しくなるかもしれません。
人間の感情ってそれほどまでに複雑なんだなって思います。
でも、それが台本を読む面白さだったり、表現する面白さ
なんじゃないかって思います。

最近「受けて、返す」が出来ていないと思う人が周りに
結構いるなぁと思ったので、そういう人たちに何とかして
届かないかなと思ってまとめてみました。
うーん、ブログ読んでるかな?(笑)
その人の今を突破して欲しいなと思っています。


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よく読まれてます☆ どうでもいいことから壮大なことまで答えてます。











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