芝居を手にした黄兎の日々

芝居を再び手にした私が繰り広げる、やや外れた日々。
でも、きっと面白い日々に違いない。
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個人反省文・長文

ご来場いただきました全ての皆様、本当にありがとうございました。
これから書くことは、メンバー個人として、役者として、この公演に
関わったものとして書くことです。
この公演に対して私が勝ってに、個人的な思いをいつものように書き綴る
ものです。憤り等は全て私個人に対してぶつけてください。

以上のことをふまえていただき、ご自身の判断でお読みいただくことを
切に願っております。よろしくお願いいたします。




何から書き始めたら良いのか、色々考えたのですが、
まず、本当にこの公演を行わなければならなかったのか、
ということから始めなければならないような気がします。

昨年の夏の公演が終わってから、今年の夏の公演まで、
1年という期間があります。
なんというか、無駄にやる気のあるメンバーが集まったので、
次の公演までに何か出来ないかと考え始めました。
そこで、自主公演という形で公演をしたいということになったのです。

私が最初に聞いたときは「発表会」というレベルで、
練習した成果を見てもらいたいという感じのものでした。
発表会程度のものなら、ということで、私は大学のサークルの後輩の
台本を貸してもらえるように頼みました。
この作品(原作「ダブルブルー -BB-」)が気に入っていましたし、
ちょうど登場人物も5人で、練習にはちょうど良いと思ったからです。

そして、貸してもらえるように話をしていた時、「発表会」という
レベルから、なぜか「自主公演(チケット代が発生)というレベルに
話が変わっていました。

この時点で、私はこの台本で公演を打つことを辞めればよかったのです。
収益を寄付するとはいえ、チケット代が発生するなら、この台本では
公演は行わない、と言えばよかったのです。
でも、このとき私はこのメンバーならこの台本くらいできるだろう、と
思っていました。キャラクターも単純だし、重たい話にならないように、
あくまでも「ファンタジー」としてこの世界を成立させればいいと
思っていたのです。



キャスティングと実力

私は、それぞれのキャラクターと実力を見つつ、キャスティングを提示しました。
まず、下手でもなんとか成立しそうなキャラクターを優先。
下手でもそれが許されてしまうような立ち位置から埋めていきました。

この時、私は原作の台本の主人公「志穂」の成長をまず優先していました。
ネガティブな自分からポジティブな自分への変化。
この台本のテーマはこれなので、これが表現できないとこの台本の意味が
ありません。逆に、これさえ出来ていれば他はダメでもいいんじゃないか
と思いました。自分がこの役をやって成立させられれば、観られる作品に
なるのではないかと。

最初は公演時のキャストと志穂・シホは逆でした。
(あとお父さん役と藤森役も)
それでしばらく稽古をした後、キャストの変更が行われました。
志穂・シホの入れ替えです。
理由は、シホが志穂を引っ張っていかなければいけないシーンが
前半大きく占めているので、そこが厳しいというものでした。

この時点で、私は気づくべきでした。
演出は「志穂の成長を描く」という部分を捨てたという点です。
そして、そこを描かずに何をこの作品で描くのかというところもはっきり
させなければいけませんでした。コピーロボットのシホ役も私は
気に入っていたので、別に気にもせず、そのまま稽古を続けました。

お父さん役と藤森役も入れ替えがありました。
ですが、そこはあまり私は気にしていませんでした。
新しくお父さん役になった人は、これくらい出来るだろうと思っていたのです。
しかし、演出のイメージがあやふやだったせいか、私が期待していたものとは
全く違うお父さんが役者に伝えられていました。
自分が頑張っていることをひた隠しにして、それでも弱さや疲れを見せず頑張る
お父さん像はどこにもありませんでした。娘に同情させて、何とか理解して
もらって…そんな都合のいい大人の姿のような気がしました。
私がお父さん役をやってもらいたかった役者さんは、今回出演しないという
ことが決まっていたので、仕方がありませんでした。

このメンバーなら、台本を読み解いてキャラクターに自分をはめて演じる
ということができると思っていた私も読み違えでした。
このメンバーは、あてがきした作品をするべきです。
きっと既成台本は難しいと思います。




この作品を演出すること

この作品はファンタジーです。
そして、描かれている内容は、あまり重たくなりすぎてはいけないと
私は考えていました。あまりに現実味をおびすぎると、リアルに芝居を
突き詰めなければならないからです。そうすると、役者は細かく役作りを
しなければならなくなります。そして時間も1時間と短い芝居です。
あまり多くのことはこの台本に詰まっていません。
だから、あくまでも「ファンタジー」であり、「演劇特有のご都合主義」が
なくてはならない作品にならなければいけません。
そうしないと、「リアリティがない」といったお客さんの感想につながって
しまうからです。あくまでもフィクションであり、「志穂が成長できて
よかったね」といった軽いノリの感想を貰うように演出しなければ
ならないんじゃないかと私は考えていました。

しかし、志穂の成長は描かれない。
でも、演者は芝居を重たくしようとする。

少しずつこの作品の全体像がでこぼこし始めたようにみえてきました。
ポップで軽いノリで、ドタバタがあって、それでも志穂が成長して
何となくいい雰囲気で終わる、というところには行き着かないなと
思い始めてきました。
でも、演出が何を思って、何を目指してこの作品を創っていったのか
私には全然わかりませんでした。
そして、稽古が進むごとに、この作品のよさがどんどん消えていっている
ような気がしてなりませんでした。

では、どうこの作品を創っていけばよかったのでしょうか。
いまだに私は悩んでいますが、演出を責めていてばかりでもいけませんので、
私なりの演出を書きとめておこうと思います。

冒頭はサス中央、椅子などは使用せず、代用として箱馬を使う。
箱馬が使えなければ、なんにでも見立てられそうな椅子を使う。
出はけ口は2箇所。上手奥、下手奥に1箇所ずつ。
志穂の独白は重くならず、軽い雰囲気を残す。
思いつめ過ぎないようにして、こんな現状なんです、と他人に軽く
しゃべれてしまう感じにとどめる。

丈治(お父さん)は、優しすぎるゆえに娘とすれ違うという感じ。
自分が苦労していることを決して娘に悟られない、そのために
娘から誤解を受けて、悪者扱いされても受け入れられるという感じ。
娘の前では疲れた顔も見せない。本当に強い大人の人。
不器用だから誤解を受けるというタイプ。

藤森は無理に年齢設定を上げないほうが私は良かったような気がします。
学生服を着れば、老けて見えようと高校生だと言い張ればよかったのです。
ここは原作に忠実にいけばよかった。そのギャップも面白さに変えられたと
思うのです。そうすれば「年齢設定がわからない」というお客さんの
感想もなくなったはずです。
あくまでも藤森はサブキャラクターなので、あまり前に出過ぎないように
なって欲しかった。ちょっと内気な高校生、という感じで行ってほしかった。

結構原作で公演された形に忠実に私は作る感じにしています。
だって、それが面白いと思うから。
あてがきされている原作ですが、役者が変われば全然雰囲気が違うように
なると私は思っています。でも、演出が台本を読んでそうは読み取らなかった。
これも面白いと思ったのですよ。それが形になっていれば。

キャストは私が志穂を演じるとしたら、志穂の成長を主軸に。
私がシホを演じるのだとしたら、全体的なテンポの面白さ、流れを中心にして、
志穂がネガティブからポジティブになった、というところだけを魅せる。
具体的には、自分の本当の気持ちを言えなかった志穂が言えるようになり、
自分以外を守ろうとすることまで言葉で言えるようになった、という所を
魅せられるようにした…でしょうか。後はロボット達の追いかけっこを
メインにしてごまかします。
この作品は凄く中身があるわけではないので、結構演出の腕にかかって
るんじゃないかと思います。それぞれのシーン、よりは全体の流れと緩急を
魅せないと難しい作品のような気がします。

結局出来上がった作品は、何を言いたかったのかよくわからなくて、
何とか公演にしてみましたという感じになったような気がします。
お客様からお金を取るのであれば、演劇として伝えられる何かを伝えなければ、
演劇の意味なんて無いと思います。
だから、私は本当にこの公演を打たなければならなかったのかから
考えなければいけませんでした。
別に発表会でよかったじゃないですか。
なぜチケット代を取らなければならなかったんでしょうか。
意味があるとしたら、その意味をきちんと果たせていたのでしょうか。
私はその意味がわかりません。
公演までの過程は私自身勉強することも多かったし、後悔はしていません。
教えることの難しさ、どういうことが演出につながるのか、いっぱいいっぱい
考えさせてもらいました。
でも、それをお客様に伝えるわけには行きません。
それはあくまでも私たちメンバーの為のものです。
それ以外で、きちんとお客様に伝えるべきことはあったのでしょうか。



演出と面白さとは何か


アンケートをはじめ、いくつか意見を聞きました。
その中で気に入ったのは、「演者は笑いの起こったシーンを本当に
受けたと思っているのか」というものでした。
舞台上に立っているとダイレクトな反応が返ってくるので、
大体のことはわかるのですが、細かい部分はわかりません。
受けていたあるシーンがあるのですが、そこの受け方が微妙だった
というのです。
お客さんが笑うまでタイムラグがあったそうです。
何が起こったかわからず、「あぁ、ここは笑うところなのね?」という
感じで笑いが起こる。これは確かに微妙です。
受けてもうけなくても、役者はやりきるしかありません。
中途半端なのは役者も微妙になりますし、お客さんも不安にさせます。
受けなくて当然、と思って演じるのです。笑ってもらえればラッキー。

劇団フロンティアの「センチメンタル朝間野球」を観た時にも思ったのですが、
演劇的な面白さをネタに走ってはいけないということです。
漫才やコントを見てもわかるように、お客さんが面白いと感じるのは
「間とテンポ」で笑わすことが多いと思います。
言っていることは何気ないことでも、間とテンポが面白ければ
笑いが起こる。普遍的な笑い。ネタで笑わせるのは、プロの芸人さんに
任せていけばよいと思うのです。後、センスに絶対の自信のある人。

台本には間とテンポで持っていけるところがいくつもありました。
でもそれらの持ち味はほとんど消えていたんじゃないかと思います。
何が面白いのか私には全くわからないシーンもいくつかありました。
シーンとしてみても面白さがわからないし、芝居全体の中でどういった
意味合いがあるのかもわからない。

演出は、この作品をどうお客様に伝えたいか、あるいは表現するか、
その表現方法を色々探して試行錯誤して一つの形として提示するのが
仕事だと思います。それを役者と共有して創り上げる。あるいは
役者と戦いながら創り上げる。
今回の作品はどこをどう演出していたのか私にはわかりません。
「演出なんてほとんどしてない。」と言われればそれまでなのですが、
それだったならば、演出として何をしていたのか私は知りたい。
本来するべき事をしないで、何をしていたのか。
私には本当にわかりません。
できないのであれば、メンバーにも相談して協力を仰ぐべきです。
言葉にして伝えるべきです。
私は私でしかありません。
なんとなくこうして欲しいのかも、ということは分かっても、
他人と完全一致なんて出来ないと思います。
そのために言葉を使うのです。
言いたくなくても、お願いしたくなくても、いいものを創り上げたい
ということが勝っていれば、そんなことは我慢すべきです。

私は基本的に演出と話をしないタイプです。
作品を通して演出と対話したり、勝負したりするのが好きなのです。
ま、そんなことでいい作品にならないよりは、「演出に聞いたら負けだ
みたいな小さいプライドは捨てた方がいいよ」と昔先輩に言われたことが
あるんですけど。もっともですよね。
今回はどれだけ人を傷つけてもいい作品にするためにめちゃくちゃ頑張る
べきでした。作品を通して演出と勝負も対話もできなかったんですから。
こっちを見てない人とは会話も勝負もできませんからね。




私の表現媒体は舞台であるべきなのか

私は芝居が好きです。
その芝居をするための場として、ずっと舞台がありました。
だから、これからもその表現媒体は舞台であるのだろうとずっと
思っていました。

でも、今回の舞台を経験して、こんなに人と関わって芝居を創ることが
しんどいのならば、舞台で芝居をしなくてもいいじゃないかと思ったのです。
演じることならば、舞台じゃなくてもできる。
自分ひとりの責任で、周りの人を巻き込まないで、演じる媒体もあるじゃないかと。

舞台は楽です。
自分の身体も使えるし、言葉も使える。
そして、今まで勉強してきてある程度自分のやりたいことは自分で伝えられる
方法を持っている。
でも、舞台は団体戦なんです。
私がよくても舞台は成立しない。
それならば、私は私で演じるということをやっていったらいい。

田舎には芝居が出来る場所があります。
でも、色々な差があります。
指導できる人もいるかいないか。
出会えるか出会えないか。
関東で芝居をしていた頃の私は恵まれていました。
本当に今、実感できます。

そんなわけで、今年の今後の活動は、また一人に戻りたいと思うのです。
リハビリ、ではなく、私が私自身をどれだけ追い詰めて上を目指せるか。
ちゃんと一人で作品と向き合いたいと思っています。




せめてもの救い


来て下さった全てのお客様に感謝。

拍手を下さった全てのお客様に感謝。

アンケートを書いてくださったお客様に感謝。



アンケートで私について書いてくださった方にありがとうを。

私は高校演劇出身者ではないですが、今回は単純な話だったので、
王道の感じで芝居をしてみました。高校演劇っぽくみえたなら
良かったと思います。ああいう芝居は割と苦手です。

シホが浮いていたということは、私の意図的な部分です。
だって、あの子は異質な存在ですもの。周りと同じじゃいけないと
思います。全体の中で特異であればよし、それ以外で違和感が
あったのならば、演出ミス。

シホの絵を描いてくれて本当に嬉しかったです。
私も芝居を観に行って、気に入ったキャラクターがいたら
アンケートに絵を描くことがあります。気に入ってくれて
絵を描いてくれたのだったら嬉しいです。ありがとう。

シホの動きがコミカルなのは軽さを出したかったからです。
面白いと思ってもらえたのならばよかったです。
ありがとうございます。




私の沢山のワガママをサポートしてくれた全ての方に感謝。
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この記事に対するコメント

見ました、芝居。

感想は反省文と同様でしたよ。

前回公演も見ましたが、何を伝えたいのかわかりにくいというのが正直な感想。

伝え聞いたところだと、役者に自由に演技をしてもらう演出とのことですが、お客は「芝居好きな人々」を観にくるんではなくて、「芝居」を観にくるんだもんなあ。

ま、いきなり100点はないから、次も頑張ってほしいです。
銀 | 2009/03/23 10:28 PM
お疲れ様、を忘れました。

お疲れ様でした。
銀 | 2009/03/23 10:29 PM
見ました、芝居。

反省文の内容について納得する点も多くありましたが、ひとつ勘違いをされているのでは?という点がありました。

今回の作品は「ちぇんじ!THE SHIHO」であって、「ダブルブルーBB」では、ないですよ。

だから、「ファンタジー」でなく、志穂の夢オチの「現実物語」なのです。

しかし、主人公「志穂」の成長を主軸にしたのは原作と同じです。

ま、たしかに今回は100点は得られなかったと思われるので、次も頑張ってほしいです。
フクイマサヒロ | 2009/03/25 12:36 AM
>フクイさま

私は原作の雰囲気でやりたかったのですが、
別の人の手に渡ってしまえば全然違うものに
なってしまうということにやっと気づけました。
自分の好きな作品はやるものではないですね…。
(昔大学の先輩がそういうことを言っていました。
自分はあんまり好きじゃないからきちんと演出も
作品に対する考察もできるって。)

最終的に色々と自分の判断が間違っている
ということに気づけましたが、代償は
結構大きかったような気がします…。

何にも理解できていなくてすみませんでした。
のとえみ | 2009/03/25 7:07 AM
>銀さん

そういってもらえて安心しました。
ありがとうございます。
その一部に私も入っていると考えると
本当に自分に腹が立ちますが…。
のとえみ | 2009/03/25 10:00 PM
芝居を見た者ですが、正直この文章を読んで腹が立ちました。
少なくとも、一緒に芝居をした仲間に対する愛情が微塵も感じられず、自分を守るためなのか、何なのか自分勝手にその仲間を非難してる感じを受け、そんな人に芝居について語ってほしくないと思いました。人を演じる我々は、何よりも謙虚であるべきだし、まして一緒に芝居をした人に対して、あそこ迄言うという人間としての器の小ささ。あなたが、少しでも他のメンバーに対して、見下した態度がなければもっといいものができたのではないですか?役者は舞台の上ではまる裸です。だから、どんなに取り繕っていい人を演じようとしても、その人の人間性がものをいうと思います。だから、人間として成長しない限り、役者としても成長しないと思います。そして、舞台は楽という発言。そんなわけがない。表現というものは、ジャンルが何であれ、楽なものはありませんし、比べるものじゃないです!!
| 2009/03/28 12:05 AM
>3月28日コメントを下さった方

凄く真正面から向かい合ってくださった
コメントをありがとうございます。
これほどの感情を持って読んでくださって、
そして他の役者さんに対する強い愛情を
持ってくださってありがとうございます。

人間として成長しないと役者としても
成長しないというのは本当にそうですよね。
私もそれは凄く実感しています。
私がちっとも上手くならないのは当然ですね。


他の役者さんはきっとこれからもっと上手く
なっていくと思います。
それを、最後まで見届けてあげてください。
コメントを下さったあなたのような観客が
1人でもいてくれたら、きっとシアパラも
他の役者さんもどんどん成長していけると思います。


私はプロを目指すのをやめて、
自分の好きな人たちと一緒に好きなだけ
芝居をしたいなと思ってきました。
プロならば人を好きだとか嫌いだとか、
そういう感情をはさんで芝居をするなんて
しないと思います。
私にはそれができなかったのです。
そういう場所を探すのは難しいですね。

もしまた時間があれば、ブログではなくて、
舞台を通してみた私の人間性なんかも
こっそり教えていただければ嬉しいです。


しばらくコメントを下さった方の前にも
舞台の上ではお会いしないと思いますので、
是非次のシアパラの公演にも足を運んで
下さいね。アンケートにもいっぱい
書いてあげてください!
よろしくお願いします。
のとえみ | 2009/03/28 12:33 PM
今更ながらお疲れ様&コメントさせてもらいますm(__)m。テンポがかなりズレちゃってますけどね。


のとえみさんの自己反省を読んで自分自身も確かにそうだなぁと納得させられる部分も多々ありました。それはシアパラの課題として次に繋げていかなくてはいけないと思います。

ただ「ダブルブル」への強い想いがあるならばもっと演出や脚本と戦うべきであったと個人的には思います。
これだけの想いがあるならば疑問を持ち始めた段階でちゃんと意見を言う事は出来たと思うのです。
いやどの段階でも、この原作を持って来たのはのとえみさんだった訳だし、なるべく原作に忠実に再現したかったのならば、例え公演が行えなくてもそれは言うべきだったのではないかと思います。


ブログを読むかぎりはこれからは朗読をやるみたいですね。どのような形でやっていくのは分かりませんけど、ただ例え朗読であっても人と関わる事から表現者は逃げちゃダメだと思います。
表現は他者があって初めて成立するモノです。それが朗読であっても同様でセルフプロデュースであろうが、やはり他者に見てもらって評価をしてもらう事があって初めて表現者として在れるのだと個人的には思います。
そして、分かっちゃいるとは思いますが、その際に批判されたとしてもそれにちゃんと対峙して耳の痛い意見も自分の中に収めて消化していかなくては表現者のとえみとしての成長はないと思います。
その為にも個人で活動していくにしても他者との関わりを絶つような事は絶対にしてはいけないと思います。
表現する者として拙いこーじですがそれだけは間違いないと思います。



シアパラでの一年間はのとえみさんにとってどのような一年であったのかは正直分かりません。伝え聞くかぎりはもう一緒に舞台に立つ事はないんだろうなぁと感じていますから多分ストレスのたまる一年だったのかなぁと思いますが(-.-;)。
それでもこの一年を無駄にせず内省の糧にして表現者のとえみとして何よりも人間的により良く成長される事を願っています。
こーじ | 2009/04/06 6:22 AM
>こーじさん
真っ直ぐな意見ありがとうございます。

台本の時点で口出ししなかったのは本当に
私のミスだと思います。もっとこうあるべきだと
主張するか、取り下げるべきでした。
「この人たちなら、もしかしたら、自分の考えている
以上に何か別のものを生み出せるかもしれない。」
という甘えは捨てるべきでした。

作品を創って公開するという時点で他者との
関わりは絶てないはず。
それが、ネット上か、実際の対・人か、
という違いはあるでしょうが。
自己満足で創って他人に評価してもらわなくても
いいという所に留まっていられれば
どれだけ幸せなことかと思います。
本当は、どれだけでも厳しく、愛を持って
率直な意見を言っていただける視聴者が
沢山いてくれれば幸せなんですけどね。
今も、そういう方は居て下さいますし。
嬉しいことです。
視聴者の方も一緒に成長していって、
私の作品をもっとこうしたら良くなるっていう
議論とかでも楽しめる感じになりたいです。

私の作品もまだまだ問題点はいっぱいあって、
まずは何を伝えたいかを、どこを楽しんで
貰いたいか伝わるくらいのものを
創りたいです。

のとえみ | 2009/04/06 6:23 PM
石橋です。ご無沙汰です。先輩が地元での演劇の活動に一旦休むということで、思ったこと。

先輩って本当に今まで恵まれて演劇なりドラマを作っていたんだなと思います。私は、高校の時点で、気をたくさん使わなくちゃいけない演劇というものに限界を感じていましたから。多くの人と作っていく作業に音だけという世界でも十分に難しさを感じていましたから。演劇は気を使うことが多すぎる。そういうこと思わずに、思っても演劇というものを愛せる何年間という時間をすごせてきてうらやましいなと思いました。

私は、もう、言葉しか持っていませんから、言葉だけで戦っています。
演劇で言う、雰囲気とか空気とかそういうものがない世界です。ないわけではないですが、できるだけ切り取っていくのが今の私の作業です。きりとって、自分の言いたいこととを切り貼りしていくことです。

演劇は主にくっつけていく作業で、それを統一しなくちゃいけないんだろうなと思います。それも、舞台に立ちたいなんていう自己主張が強い人同士でやっていくんだから大変だろうなと簡単に想像してしまいます。

私先輩に、「一番いってほしくない方向に行っちゃった」って、言ったことがありますが、表現する前段階のことがめんどくさそうというすっごい見下した考えから発せられるものでした。(演劇やってる人すみません。それは、私ができないという嫉妬もあるのです。)

まぁ、今も私のその考えは変わってないんでしょうがね。

だって、先輩できるのに、そんな人たちと戦うことないよ。愛とかってウケる。

シビアに考えてる先輩だからこそその誠実さがクールに見えるのかしら。
自分の表現について悩んでいる姿が愛がなく見えるのかしら。
それなら、研究者は愛のかけらもない人だ。

先輩のやりたいことって、自己表現なの?演劇なの?
作品というフィルターを解した自己表現でしょ。なら、別に、演劇じゃなくてもいい。先輩には、絵も、声も、映像もあるんだから。人とかかわることから時には逃げてもいいと思いますよ。自分見て、他人見て、他人に見てもらって、違う考え方聞いて。それは、学術もかわらないんです。

先輩がこの先どうやって自己表現していくのか楽しみにしています。では。また、ひょっこり現れます。

きっと、先輩の中では消化しきれたことだと思うので、また沸いたようにコメントしてすみません。一般的な表現の場所から逃げた人の独り言と思ってくださいな。

ますます、先輩の演劇見るのは遠くなったな。
智慧@韓国 | 2009/04/14 7:21 AM
智慧ちゃんのコメントが的確すぎて涙目です。

直接メッセージを送ろうと思ったのですが
アドレス紛失してました…。
一時帰国でもしたらおいしいお店にでも
行きましょう。

のとえみ | 2009/04/18 11:57 AM
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