芝居を手にした黄兎の日々

芝居を再び手にした私が繰り広げる、やや外れた日々。
でも、きっと面白い日々に違いない。
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【舞台】掬う

前からロ字ックさんの舞台は観たいなぁと思って
いたのですがなかなか見る機会がなく、ようやく
今回の東京遠征で観に行くことができました!
観劇したい作品を狙って見に行くことよりも、
東京に行くから観劇しよう、というスタイルが昨今は
多いので、その時に観られるものを選ぶようにすると、
観たくても期間がずれている、ということが
起こるのですよね。

ロ字ックが気になっているのは、タイトルがまず
気になる。そしてフライヤーの印象が強いっていうことが
ありました。また、CSで放送されていた
「演劇人は、夜な夜な、下北沢で飲み明かす」
https://www.bs-sptv.com/yonayona/archive/1608-09/
という番組に、ロ字ックの山田さんが出ていて、
それを見てやっぱり観たいな〜と思ったのもきっかけです。

そんなわけで、初の三軒茶屋、シアタートラムに行って
来ました。シアタートラム、雰囲気好きだわ〜。
吉祥寺シアターも良かったけど、ここも好きです。


10周年前夜祭企画 第13回本公演
「掬う」
作・演出 山田佳奈

11月17日(日)14:00〜 ※東京千秋楽
at シアタートラム
前方下手より観劇


http://www.roji649.com/




■30代、刺さる

作・演出の山田さんの方が断然若いのですが、
あぁ、この年代の作品が刺さる歳になってきたんだなぁと
観劇後にとても嬉しくなったのを覚えています。

30代に突入したくらいから、蓬莱さんの「まほろば」を
やらせてもらった時も思ったけど、やっと実年齢に近い
作品が、自分の実感や経験とズレが無くなってきたなぁと。
「掬う」もそうで、ようやく自分がこういった作品が
「刺さる」と思えるくらいの経験をつめてきたんだなぁと
思ったわけです。

そういう部分では、30代中盤〜40代中盤くらいの劇作家
さんの作品にはとても興味があります。
瀬戸山さんもなんかわかりそうと思ったり、
横山さんも刺さるかな、と思ったけど、演者さんに
合わせているのか、前に観た時は刺さらなかったん
だよね〜。iakuはちょっと自分が通り過ぎた感があります。



とある家族、余命幾ばくかの父。

その娘であるミズエが、
女3人の奇妙な共同生活を通して他者を許すまでの過程を描く。

「わたしたちは当たり前に他人を傷つけることができる。
それをどこで許すか、それが大人になることだ」


「掬う」という作品は、ミズエと家族(夫)ととりまく親類
という生活コミュニティの中に、友人、余命幾ばくかの父と
交流があった女子高生が投げ入れられることでうねりが起こる。
ただでさえ、ミズエが入院している父に対しての不安があるのに、
さらに父の元妻や親類がかける負担に心が休まらない。
そして、家出してきた友人と父と関係があったと疑いが晴れない
女子高生が追い打ちをかける。

こうやって書くと大事のように思われるが、ミズエの生活に
何事もないように、当たり前と思わせるように描かれるのが、
あぁ、凄いなと思った。こういう事は多分日常で当たり前に
起こっている、不思議に思わないくらい自然に起こっている、
そう思わされるし、実際に私が体験していないだけで、そう、
なんだと思ってしまう。

不自然に作ったようなキャラクターの友達もとてもよくわかるし、
そう生きていかなければならなかった彼女・真紀を思うと本当に
苦しい。女子高生らしからぬ達観とそうなってしまった花音の
ことも同じように思う。
多分登場人物ひとりひとりが、そうやって生きていかなければ
ならなかったという過去がずっと見え隠れして、そしてそれを
感じ取れるようになってしまった自分も見え隠れして、
ようやく私はここまでこれたんだなとという思いがより強く
感じたのだと思う。

誰かに感情移入して、共感して観ることが今までは多かったけど、
「掬う」は、本当に出てくる人たちみんなの事情がわかりすぎた。
それだけの時間を私は色んな人と過ごしてきたのだなと思う。
観て自分に跳ね返ってくる、自分を知れる作品は本当に
嬉しいし素敵だと思う。


■ラストに台詞が少ない作品は好きだ

自分に刺さりすぎた、というのが決定的になったのは、
最後のミズエと夫・庸介のシーン。

自分で抱えすぎて、周りを頼らず、自分だけで何でも
終えてしまうと庸介が指摘して、ミズエが泣きながら庸介に
突っかっていく。

あぁ、これは見たことがある。
見たことがあるんだ。むしろやった気がする。リアルで。

昔、劇団研究生の時に演出さんが授業で言ってくれた、
「これをやられたら泣く」という行動を外さない、
というのが当てはまる。

台詞ではなくて、あぁ、もうこのシーンで泣きそうだ、
という時に、「泣きそう」で終わらせず、そこを一押しして
「泣かせる」という行動をしっかり演技で見せるということだ。

例えば、別れのシーンで「さよなら」と言った後に、
そのまま別れるよりも、「握手」なり、「抱き合う」なり、
そういった行動を加えた方がグッとくる、という感じである。
見ている人の想像力を台詞ではないところで広げる、という
演出に近いものだと思う。

だから、私はこういう最後のシーンに弱い。
そして、分かる人にはミズエの行動がわかってしまう。
庸介に離婚届を渡して、もちろん庸介からは最後の説得をされる。
黙ってしまうミズエが居て、その後泣きながら庸介に突っかかる。
これが始まったところで、最後、ミズエがどう落としどころに
入るのかわかってしまう。

ミズエはきっとこうなるんだ、と思いながら見てしまう。
その時点で多分演出にハマっていて、そうなると思いながら見て、
私は先読みの想像だけでもう十分泣けている。
そして、自分の想像の通りの行動が起きて、さらに泣く。
想像通りでなくても、自分の想像を超えたものが最後に出てきた
としても、もちろん泣くのだ。
こういうコントロールされている演出はとても好きだ。
とにかく演出に翻弄されたいし、騙されたい。
とても気持ち良く劇場から出られたので幸せだった。


■台本を買って帰ろうと思わされた決定力

私は他の人よりは少し、台本を持っていると思うが、
公演をしよう、となって、後追いで台本を買うばかりだ。
ほかの公演を観に行っても、好きな劇作家さんの公演を
観に行っても、実はその時に上演された台本を買って
帰る、というのをしたことがない。
観て満足するか、台本に戻らなくても観た作品を
自分の中で解読できるからじゃないかと思う。

そんな中、「掬う」は観ている途中で、
「台本を買って帰ろう」と思った。
結構私の中で急激にギュッと決まって、ストンと買う
ことに一瞬で納得した。こういう体験は初めてだったので
とても緊張したし、物凄い素敵な体験をしたと思った。

観ていて、ここはどうなっているんだ?
台本はこのままの台詞が書かれているのに、どうやって
このシーンに、この役者のお芝居に起こせたのだろう、と
不思議に思ったシーンがあった。

ミズエの夫・庸介と女子高生花音のシーンだ。

多分、他の人にしてみたら、なんてこのないシーンだし、
人によっては、このシーンがなぜあるのか、このふたりの
会話の意味が見いだせないかもしれない。
それくらい、多分、何てことの無いシーンだと思う。
そこが、私はとにかく面白かった。
そしてじわじわ泣けてきたのだ。

このシーンを観ている最中に、
「あ、台本買おう」
と思ったのだ。

その後の、瑞江と真紀のシーンもさらに後押ししたと思う。
このシーンも本当に良かった。真紀がこの作品に登場
したのは、このシーンのためだったんだというのも凄く
納得したし説得力があったし、あぁーどの台詞も良かった。

観終わった後、本当にぐしゃぐしゃで、なるべく下を向いて
かろうじて台本1冊、って声を出して逃げ去るように台本を
受け取って、駅まで何とか行って、本当にいい買い物を
したなと凄く満足して劇場を後にできたと思う。

今書きながら買った台本を読み返しているけれど、
あの時の舞台の、瑞江の、花音の、真紀の声が脳内で
ちゃんと違わず再生されていてとても嬉しい。


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