芝居を手にした黄兎の日々

芝居を再び手にした私が繰り広げる、やや外れた日々。
でも、きっと面白い日々に違いない。
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「気づく」お芝居

お芝居を始めて、少しずつできることが増えていって、
上達していっているなぁという中で、何となく最初の
方で出てくる壁みたいなものっていくつかあると
思っています。

感情を表に出すとか、
自分で考えたお芝居を人前でできるかとか、
経験や体験を恥ずかしがらずにやり切れるかとか。

そんな中で、「気が付く」というお芝居が
出来るかどうかって、感情を表に出す、ができる
ようになって、恥ずかしがらずにやり切るっていう
ことができた後くらいに、できてないよって
言われそうなことなのかなぁと、先日観劇した後に
思いました。

気が付く、というお芝居は自分でできていないと
気が付いて自分で直すというのはもしかしたら
難しいかもしれません。
自分ではやっていたとしても、観た側からすると
それがやっているように見えないかもしれません。
そういうこともお芝居をやっていると多いので、
そういうときに演出さんや役者仲間から教えて
もらうことも多いです。

出来ているかどうか、観ている人に伝わるかどうか、
教えてもらいながら、そして自分で判断ができる
ようになりながら上達していくと思います。

考えるきっかけになった舞台で気になったのが、
「電話がかかってきてとる」というシーン。

さほど難しくないように思いますが、
気づき→行動→会話、という風にいくつか
分かれているのが難しいように思います。

そこでも気になりましたが、役者さんが電話が
かかってくることを知っているという部分。
台本を知っているせいで、先を読んでしまっています。
本来ならば、その役は電話がかかってくることを
知りません。ですが、知っているせいで電話が
かかってきてもそれに対しての反応もなく、
すぐに電話をとってしまいます。

電話が鳴る、そのときに何を考えるか。
携帯ならば相手の名前が表示されているから、
それに対して反応があるんじゃないかって思います。
表示されない電話ならば、誰がかけてきたのか、
他に人がいるならば誰が電話に出るのか、
かけてきそうな相手が思い浮かぶかもしれないし、
何の感情もなく電話を取るかもしれない。

そういった行動の裏側やその時に生まれている
自分の中の反応や感情を大事にできるかどうかで
お芝居に反映されるものが違うような気もします。

人に対しての気付きや反応は、相手からの刺激も
あるし、動いている分反応しやすかったり、
出来ている人が多いように思います。
逆に物に対してが出来ていないような気がするのは、
その対象物が動かず、自分の中でお芝居を構成
して自分でしなければならないからなのかな、
という気もします。


カーテンをあける、すだれをとる、という
お芝居にしても、なぜその行動に至ったかが
なければ、ただ演出さんに開けに行ってと
言われたから、ただの段取りに見えてしまいます。

何かに気付くなり、自分の中でふと思い立つなり、
そういったお芝居をひとつ入れることで違って
くると思います。
そういう台本に書いていないお芝居の部分を
埋めていかないと、お芝居も作品も作品の世界も
深まっていかないなぁと思います。


というわけで、ふとこれはメモしておきたいなと
思ったので、ブログにまとめました。

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