芝居を手にした黄兎の日々

芝居を再び手にした私が繰り広げる、やや外れた日々。
でも、きっと面白い日々に違いない。
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【舞台】夕-ゆう-

劇団P.O.D.さんの「夕-ゆう-」を観てきました。
PODさんはキャラメルボックスもそうですが、
宅間作品も上演されています。
ファンタジーから現代劇まで、そういった
演目の幅広さや、キャスト層も相まって、
動員も多くなってきているのではないでしょうか。
近い世代の団員さんがそろってきているので、
それだけでも劇団の統一性というか、
まとまりのある空気感が感じられます。


劇団P.O.D. 創立30周年記念
第51回公演「夕 -ゆう-」
作:宅間孝行 演出:南本清美
2019年2月24日(日)14:00の回
at 高岡市生涯学習センターホール
上手中央やや後ろより観劇



やはり目を引くのが、それだけで空気感をまとった舞台セット。
夏らしさや南の地方っぽさが出ています。流石です。
上手の民宿表へ続く辺りや、勝手口から石階段へ続くところまで、
舞台の端から端までセットで埋めたのがよかったなと思いました。
その分演技エリアも限定されるし、あの舞台の広さをきちんと
埋められている感じがしました。役者さんも大人数で舞台に居る
シーンも結構あったので、そのせいもあったかもしれません。
きちんと舞台を埋められる、というのはできるな、と思いました。


登場人物が多かったのですが、観進めていくうちに、誰がどの
キャラクター、というのが馴染んできたというかわかるように
なってきたのが良かったなと思いました。
台本の力もあると思いますが、どのキャラクターも必要な役、
というのが感じられました。捨て役がないという素晴らしさ。
そして、捨て役がないと思わせることができたのは
役者さんの力もあるんだろうなと思いました。


今回はメインキャラクターはいるものの、群像劇に近い
作品だったなと思いました。客演さんもいらっしゃいましたが、
PODさんの雰囲気が上手くこの作品の家族の雰囲気や
友達などの良い雰囲気につながったんだろうなと思いました。
こういう部分を意図的に生かせるようになれたらとても
強みのある劇団だと思いますよね。


とても流れはゆっくりであったり、多少停滞している空気、
ではありましたが、思ったよりも雰囲気があって
良かったなと思いました。大人数になればなるほど
こういった雰囲気を作るのは難しいだろうなぁと思います。
こういうのをみると、あぁ、演劇って団体競技なんだなって
思います。




・・・という感じで、全体的な感想はこんな風にまとめて
みました。そして、「続きを読む」からはいつもの感じで
書き残しておこうと思います。もっと細かい部分やキャラの
ことなんかを、こんな細かいこと気にしてるのかよ!くらいの
勢いで書いていきたいと思います。いつものように、
褒める部分も私はこう考えた、私ならこうしたい、という
とーーーーっても個人的な感想を書いていきます。


大変申し訳ありませんが、ここからは読み手のみなさんの判断で
読むかどうかをお願いいたします。


いい気持ちで、あぁ今回もPODさん良かったなという思いで
余韻を楽しみたい方、PODが好きでたまらないし誰一人として
この大好きな人たちに対して何も言ってほしくないという方は
ここまでで読むのをやめておいた方が良いと思います。


また、読んだ方の中にはこの舞台が悪かったという風に
捉える方もいるかと思います。良い悪いというよりは、
私は好き、好きではない、私はこう思いこう考える、
こうするためにはこうした方がより伝わるんじゃ
ないかということを、私が自分なりに考えて、
私のために書き残しています。それに対して読んだ方々が
それなら自分はこう思う、実はこういうことがあって
それはできなかったんだというのを自分自身の中で
思ったり、観た人同士で話し合うなり、書き残すなりは
自由だと思っていますし、そういうのが読めたら面白いな
っていうのも思います。この作品のこの役者のこの劇団の
と考えれば「適切」「適当」はあるかもしれません。
ですが、完全な正解なんてないと思うんですよね。
だから、私の感想も考えもひとつの道、という程度に
思ってもらえたらと思います。


めっちゃ前置きが長くなりましたが、これだけ書いても
伝わらないこともあるので、今回は割と丁寧に書いて
みました。それでは、こんな面倒くさいやつの感想でも
いいよ、という方は「続きを読む」からどうぞ。
■役者の目一杯が見える作品難度


既成台本作品を観に行ってたまに思うことがあります。
この作品、この劇団さんや役者さんにはちょっと余って
しまっているなというような、作品の難度と役者さんの
力の間に、空白のような間が見える、ということです。
今回の「夕-ゆう-」は、作品の縁に役者さんが目一杯
伸びきって、何とか手を伸ばして、目一杯だな、
この作品の役に届くところではあるけれど、それを
飛び越えるということはないな、というような間隔が
見えました。


良い悪いではなくて、PODさんの今にとって、絶妙な
難度の作品だなと思って見ていました。こういう、
自分の劇団や役者に合わせられる、近い作品を持って
くることができるというのはいい企画だと思いました。


欲を言えば、理想を言えば、もちろん縁に手をかけて、
それを突き破るなり飛び越えるなりして役者さんが
成長したり、お客さんが見たことのない役者さんの
姿を見せられたら最高だと思います。ただ、それは、
それを目指す集団なのか、であったり、そうなりたい
と思っている役者なのか、であったりが関わってくる
事だと思っています。だからそれはまた別の話。


もし、飛び越えるなり、ぶち破るなりしたいのであれば、
それはもっと、いや、かなり、本気で、マジで頑張って
欲しいよね、とは思います。やっぱりいい作品というか
本だと思うから、それだけのことはやってほしいって
思ったりもします。そういう部分ではとても悔しいし、
はがやしいって思いました。


マキノノゾミさんの講座に行ったときに、
「面白いというのはどういうことか」
というのを聴かれて、私は
「自分が想像している斜め上のこと、想像以上のものが
 現れるということ」
という風に答えました。(もちろん小林賢太郎さんの
受け売りというか、どっかの本とかに書いてあったので、
それをリスペクトしただけですが)


お芝居もそうだと思うんですよね。自分が想像している
以上の感情や、音色や、行動や、意思なんかが目の前に
現れたら面白い。
観る人も意識するけれど、私はまず演出さんの斜め上を、
想像しているもの以上のものを、面白いと思わせるような
ものを稽古でだそうと思ってやっています。
客観的に見てくれているのは稽古場では演出さんだと
思っているからです。その人が面白いって思ってくれるなら、
びっくりするなら、きっと観ている人もそう思ってくれる
という演出さんへの信頼なり、観る人への信頼なりが
あるからだって思っています。


そういうことを稽古から意識してやっているか、
お芝居をどうしたいと思っているのか、どういう役への
アプローチをしているのか。自分の今の力でできることで
十分だと思っているのか、むしろその範囲でやりたいのか、
そこを超えたいのか。舞台を観ていればわかります。
そういう部分では、越えたいというよりは、今の自分たちで
戦えるところで戦うっていうスタンスなんだなって
思いました。
だから、作品の縁や枠に対して目一杯やってくれた役者さん
たちは、その役者さんたちにとっては、十分なことを
やってくれたんだなって思っています。




■時間経過を演じるということ


いやー、時間経過、ありましたねー(笑)
時間経過をお芝居で作りこむってめっちゃ難しいと思います。
全員がその数年なりの時間経過をまず共有するっていうのが
難しい。その数年の自分の役をどう経過させるかが難しい。


1年〜3年なんて誤差の範囲でしょって思いますよね。
ただ、その数年の経過で区切る、っていうことには
何か意味があると思うんですよね、台本として。
夕と元弥の関係(ふたりのシーンとか)であったり、
夕と元弥と薫と憲太郎の関係であったり。


そこを描きたいからそこで時間を経過させたりするわけで、
そこを抑えないと伝わらないものが多くなっちゃうんじゃ
ないかなって思います。もちろん、暗転明けの経過も
目で見てはっきりわかった方がいいかもしれないし、
台詞でも一応フォローされているわけだから、そこが
伝わるようになっていてほしいっていう気持ちもあります。


何となく伝わるだろう、くらいにしか見えなかったし、
そこは「演出として」観ている人を置いてけぼりにしない
配慮が欲しかったと思います。そこでついていけないって
思ったら、それ以上は見てもらえないっていうことだって
あると思うんですよね。そういう部分にこだわりというか、
観る人のことを考えているかどうかって出るんじゃないかな
って思います。


衣装も細かく変えていたり、何着も用意したりで大変だった
ろうなぁ〜と思いました。大変だった分伝わったものは
伝わったと思います。これは役者さんのこだわりかもしれない
ですが、セーラー服のリボンの結び方がキャラによって
違うのもよかったし、信ちゃんのリボンが短いのがなんか
説得力(リアル感)があっていいなと思いました。


信ちゃんはPOD初舞台みたいでしたが、ところどころに
センスが感じられていいなぁと思いました。
出来ることが多い役者さんだと思いました。あとは経験というか
台詞に説得力が乗ったらさらに魅力的だなと思いました。
夕に対して説教みたいなことを言うシーンが特にそう感じ
ました。まだ若いからかな、というのも思うし、実感として
そういう部分を乗せるっていうのがこれからなのかな、
という風にも思いました。今後どんな風にお芝居をやったり
役作りをしていくのか楽しみな役者さんです。


学生の感じはそれぞれの役者さんが意識して演じていたように
見えて、気の遣い方がいいなと思いました。
その分、自分の実年齢に近づいていくとその丁寧さが薄れて
いくというか、今の感じ(等身大)でいいだろう、
みたいな雰囲気があって、そこも丁寧に役作りを
してほしいなと思いました。
変わらない元弥の感じは面白くて、あぁ、そのまま大人に
なったんだなという感じが良かったです。その分、
変わりたいのに変われない夕であったり、変わってしまった
薫であったりがぼんやりしてしまっているように見えました。


この後に書こうと思っていますが、それぞれの立場と
関係性を自分で理解して意図的にできるようになる
(ある意味台本が読めているかどうか)というのが
あった方が、この作品に関しては良かったのかなと思いました。




■人間と人間の関係性が面白い


ひとつ前で関係性の話が出たので、続けて書いておこうと
思います。


1回しか見ていませんが、この作品の面白いところ、
見どころは、関係性かな、と思いました。
夕と元弥と薫と憲太郎の関係性が時間がたつことで変わって
行き、またあるいはそのために変わらないものが浮き彫りに
なって、それを最後に知るのが元弥、という構造かなと
思いました。
周りのキャラクターにも、変わるもの変わらないものが
あると思います。


信子は対応や見た目は変わったかもしれないけれど、
内面の坂田への思いは実は変わらないし、
坂田は不良から変わったけれど、鈍感だったりハブられたり
するような部分は変わらない。
欣弥は緑でコロッと変わるけれど変わらないタモリ愛が
あるし(笑)、
緑は信子と同じで内面は変わらない。
登と浩子は変わらないけれど、少しずつ老いていくし、
その反対として清子が病気というもので変化が出てくる。
ガリバーと雅弥はわかりやすくて、変わってしまうという
変化や負け組勝ち組のような構図も含んでいるし、
波はひとりの中でわかりやすく変化が起こっている。


こういった小さいものから物語を動かすようなものまで、
変わるものと変わらないものがあって、それが関係性に
及んでいる。その関係性が変化することで、ポジティブ
だった感情がネガティブになってしまったり、
その逆になったり、というのが、とても人間味が垣間
見られる面白さに繋がっていくんだと思いました。


だから、自分のキャラクターはこの作品の全体の中で
どんな位置付けで、どんな役割なのかっていうのは
まず「わかって」いた方がいいと思うし、それを
意図的に「観ている人に伝えられる」というところに
行くことで、観ている人が面白いと感じたり、心を
動かされたりするんじゃないかって思います。


それがあって、それぞれの役の葛藤や悩みや好きという
気持ちの置き所や決着のつけ方というのがより面白く
なるんじゃないかなって思います。
(順序は逆かもしれないですが、このふたつは
関係しているんじゃないかって思います。)


それを自分の中に持った上で、元弥への思いをどうしようか
葛藤する夕であって欲しかったし、割り切っているようで
実は悩んでいた薫であったりっていうのがはっきり
伝わった方が、観ている方としてはより感情移入したり、
応援しながら見るというところへたどり着けたんじゃ
ないかなと思いました。
今の感じだとちょっと曖昧というか、役者がそれを
本当にわかって演じているのかなと思ってしまいました。
雰囲気や何となく、ではなく、行動や動機に意思を
持って動くことで説得力が増したりするんじゃないか
って思います。台本を読めるかというのも然り、
もう一歩踏み込むってことを目指したら、また見える
景色が変わりそうだなって思いました。


自然な感じは薫は前よりも自分のものにしている感じが
あったし、出だしの感じは夕も前回とはちょっと
変わったのかなっていう風に思いました。(スゲー!)
(夕はそのあと後半に行くに従っていつもの感じに
なってしまったのがちょっと残念でした)




■感情が外へ向くこと、飛ぶこと、滲み出ること


関係性の上で、という風にした方が作りやすいのかな
と思って、この順にしましたので、次は感情のことに
ついて書いておこうと思います。


多分役者さんの癖というか、性格だと思うのですが、
見たいな、と思う所で夕が内側に向けたお芝居を
しているように見えたのが気になりました。


実際に内側に向けてお芝居をしている部分もありましたが、
それが効果的だったか、と言われるとちょっと曖昧に
思います。
また、夕が下を向いて台詞を言うところがいいシーンで
ちょこちょこあって、それが効果的に見えないと
思いました。見えなければ無いのと一緒。
その部分を観ている人の想像にゆだねてしまうという
演出もありますが、肝心なところで見ている人に
投げてしまっているように思えるし、観る側が
補完するところが多すぎて、観終わってからとても
疲れてしまいました。


学生の時のシーンで元弥に言い合いをふっかける所、
最後の波に対して自分の気持ちを吐露するところ。
ここは夕の性格とかキャラクターを良く表せる
シーンだと思います。


そこは外に向けてほしい、相手に掛けて
欲しい、そこは意を決して言っているのだから
自分ではなく、誰かに向けてほしい、そういう部分が
あって、見ていてすっきりしないように感じました。


夕って、強さ的に元弥と対等であって欲しいなと
思いました。だからこれは個人的な感覚なんだろうなと
思います。
「好き」という気持ちを引くっていうのはあるんだけど、
それを内側に向けるお芝居で表現するというよりは、
相手に掛けているんだけれど、「好き」を閉じ込める
(引く)というお芝居の方が、夕というキャラクターを
考えた時にいいのかなとふと思いました。


「好き」を言うことに対して臆病になっているだけで、
夕って弱いキャラだとは思わないのですよね。
気持ちを断つためにパリに行こうとか、距離を置こうとか、
そういう物理的な決断はできる強さはあるんだけど、
未練があるというか、うまく言葉にできないのですが、
弱弱しいとかっていう感じではないような気がしています。
言えないっていうのは誰にでもある弱さや臆病さだとは
思うんだけど、誰にでもある部分で、夕にだけある特別な
ものではないと思うのです。それを、内側に向けるお芝居
にしてしまうと、なんだか特別で、弱いという風に
見えてしまう気がしています。完全にこれは私の好みの
ような気もするので正解かどうかはわかりません。
「私だったらこうする」っていうことなのかもしれません。


逆に言えば、夕を演じた役者さんらしい夕だ、
この人が演じたからこそこの夕になったんだっていう風にも
思います。それをちゃんと出せる、それが出る役者さん
という風に感じました


また、本音を吐露する部分でも、あ、これは本音だと
思えるような台詞の音に出会えなかったのも共感に
つながらなかった一部かなと思いました。
あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛
めっちゃ夕がいい役だと思ったし役者さんの気合も感じたから
余計にぐやじい゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛
ホントに!この下向くのを演出をつけて直すだけでも
全然違ったと思うんだよなあああああああ。
もっと良くできたよお゛お゛お゛お゛お゛お゛
(心の叫び)


でも今まで見た中で一番夕の役者さんの気持ちや
お芝居の揺れ動きが大きかったと思うので、
とてもとても頑張ったんだなと思いました。




■芝居を受けて返して生まれるお芝居


内側に向けてお芝居をするのは、一人でお芝居を作って
しまうから、というのがひとつにあるんじゃないかと
思います。後は、役者さん自身がネガティブ方向に
向かいやすくて、内側=自分自身へ向かってしまうとか。


そういう場合は、相手と一緒にお芝居を作るのが手っ取り
ばやいと思います。(まぁ、それが難しいのですが)


全体の雰囲気を見ていると、それぞれ役者さんが
雰囲気を作っていて、自分の周りに空気ができている。
それが、物理的な距離が近づくとくっついて、
何となく雰囲気がつながる。
多分意図的にそうしているわけではないのだけれど、
場に登場人物が多くなると、それが舞台上に
つながって何となく舞台を満たす感じになる。


相手と一緒にお芝居をつくっていくと、一人一人が
つくっている空気や雰囲気を二人や複数で共有
することになる。そうすると、ふたりや複数で
ひとつの空気に包まれる感じになる。
ひとりで作っている空気よりもずっと強くて、
見ている人にもそれは伝わってくると思う。


相手の言葉(台詞)を聴いて、リアルタイムに
自分はそれに対してどうしたいか、どう思うかを
つくる。自分で決めた感情ではなくて、リアルに、
それを聴いて反応する。
その瞬間にその気持ちが生まれて動きや言葉がでる。


すごーーく地味だけど、これを丁寧にやると
作品全体の仕上がりも良くなると思うのですよね。
それが全体でできるようになると、今度は舞台全体の
空気を収縮できるようになる。それを自分でも
感じたりできるようになる。


自分で今自分は舞台をどう掌握しているのか
感じている人ってどのくらいいるんだろうって
思いました。それがわかるだけでも自分が上手く
なったかも、っていう指針になるかもしれない。
そういう実感を感じながら舞台や稽古を続ける
っていうのも面白いんじゃないかって思いました。




■動き(行動)と感情(動機)が一致すること


細かいところですが、どうしても台詞の勢いと
身体の動きがちぐはぐな所が気になりました。
殴ったり、殴られたりという殺陣の部分もそう
ですよね。こういう部分をきっちりコントロール
できるかどうかってそのまま上手い下手に
直結しそうな気がします。


どうしても言葉だけでお芝居をしてしまいがちに
なりますが、動きのお芝居も大事です。


感情(動機)があって、動き(行動)になって、
そして最後に言葉が出る。
日常生活をよく思い出してみるとそうだなって
思うことが多いと思います。
何か言いたいけれど言い出せないとき、
指が動いたり足が動いたり、目線が動かなかったり、
そういう風に体の方に先に反応がでませんか?
言いたい(でも言えない)というのがあって、
動きが出る。意を決することができて、最後に
出てくるのが言葉です。


それがきちんとひとつなぎに繋がっているかどうか。
繋がっていれば自然に見えたり、観ている人に
思っている以上に伝わったりするかもしれない。


そして、動きでより説得力を持たせることが
できるんじゃないかって思っています。


特に今回は小道具が沢山出てきました。
また、その小道具が泣きポイントになっていた
シーンもありました。


稽古中からも小道具を使っていたと思うのですが、
ビールやコップの使い方は使いながらのお芝居が
馴染んでいて、意識しなくても使えるように
気を配ってきたんだろうなと思いました。
手に持ったり飲んだりすることでお芝居をつくり
込んだり、時間を稼いだりできるので、
使いやすい小道具だったんだろうと思いました。


逆に、泣きポイントになる元弥の大事なものが
入っている缶。最後のシーンで、夕が触りますが、
ここはもっともっと丁寧に扱ってほしかったと
思いました。


あの缶=元弥の大事、なのですから、
触るにも勇気がいるし、運ぶにも気持ちが入るし、
開けるには覚悟がいるし、中のものを取り出すには
繊細さがいるんじゃないかって思います。
それを動きに乗せる。すると芝居になる。


私だったら、缶がある場所に行くまでに勇気が
いります。すぐには動けないかもしれません。
でも勇気をだして一歩を踏み出します。
踏み出すお芝居が大事です。手を伸ばして缶を
取り出すにも勇気がいります。運ぶときに
どんな気持ちになるでしょうか。
早く開けたい?開けたくない?
その気持ちが動きのスピードの変化になります。
置くときも気を付けます。
おいてから開けるまでにも幾ばくかの時間が
あるかもしれません。開けてから、多分
物を取り出すとき震えたりするかもしれません。
取り出したものの背景を思い出したらどんな
気持ちになるかなぁ。


ここを丁寧にするだけで、なんてことはない、
ただ缶を取り出して開けるだけなのに泣ける。
もう泣けて仕方ない、これを丁寧にするだけで、
今まで泣けなかったけど泣いてしまった、が
できるシーンだって思っています。


泣くのを見て泣く、もらい泣きっていうのも
あると思います。でもそうではなく、私は
行動が涙につながるお芝居をしたいって思います。


大げさに書いたかもしれないですが、小道具は
とても大事です。小道具自体が誰かの投影に
なったりもします。
赤ちゃんとかの扱いとかでもお芝居にどれだけ
説得力を持たせられるかとかもあると思います。
お菓子の袋の開け方や持ち方、取り出し方でも
そのキャラクターを表現できたりします。
もっともっとお芝居の動きっていうのを
こだわって作ってほしいなと思うし、そこに
向かい始めてもいい役者さんもきっといると
私は思っています。




■言語を大事にするという事


長崎弁、難しかったですよね......。
方言って難しいし、イントネーションに気を取られて
お芝居がおざなりになってしまったら本末転倒だと
思います。


最初の方はちょっと変だなって思ったのですが、
時間がたって慣れてくるのと、
役者さんの気持ちが入ってくると気にならなく
なってきた感じでした。


最初っていうのは本当に大事だなと見ていて思いました。
とにかく天神さんが演出の時は最初のシーンを本当に
めちゃくちゃ、そこだけどれだけ稽古するんだって
くらい毎回毎回やらされるのですが、今回舞台を観て、
最初は本当に肝心で、稽古がモノを言うなって
実感しました。


ネイティブではないので長崎弁はわかりませんが、
わからないからうやむやにするとか、
やり過ごそうとかするのではなくて、
向き合ってできる精一杯をやるっていうのは
必要なことだなって思いました。できるできない、
ではなくて、どうそれに向き合うか、向き合う
役者さんなのかっていうのがわかるんだなって
思いました。もちろん、できるにこしたことは
ないと思いますけれどね。




その他気になったことなどなど箇条書きで


・パンフレットの役者&キャスト紹介は、
 観劇後に顔と名前と役を一致させたいので
 それが一致できるようなものにしてほしい
・暗転が長いのは仕方ないけれど、それが
 完全暗転になっていないのでほぼ見えなのが
 とてもつらい。
 (何かいい方法や演出がないのか盒兇舛磴鵑
 聞いてみたい)
・欣弥の出の最初の台詞が一ミリも聴き取れ
 なかったのでマイナス5000兆点。
・浩子がテーブルを拭く動きがリアルで好き。
・後半登や浩子や雅弥や波やらが沢山出てきて
 座ったものの等間隔に座っていたので
 何とか関係性が見えるようにして。
・緑の奇抜なワンピースドレスの時の足が
 綺麗でドキドキしたのでプラス5000兆点。
・徳永のハットとストールが激似合っていて
 素敵だった。(抱いて!
・ガリバーと雅弥と波の掛け合いがドチャクソ
 可愛かったのでもっと見たい。
・坂田はずるい。(スケッチブックボイジャーに
 続いて2回目)
・A32つ折りマットコート厚手紙の当パンが
 お金かかってる。しかも×2
 冊子印刷よりこっちの方がコスト安いのかしら
・大きいホールなので仕方ないのかもしれないけど
 制作的に自由席で座ったのに詰めるのをお願い
 するのは好きではない。
・薫の抜きの芝居が役としてけだるそうに見えるので、
 後半の結婚式前の辺りが元弥のことをどうでもいい
 ように見えてしまう。どうでもいい>諦め、という
 強さに感じた。


動員の多さ、お客様からの拍手、アンケート、それが
全てだと思っていますので、自分にとって都合のいい
部分だけ掬い取ってもらえたらいいと思います。


もうちょっと上達したい、という役者さんがいたら、
自分が今どこにいてどれになりたいのか考えながら、
次の目標を見つけていったらいいんじゃないかなと
思いました。
公演お疲れさまでした!
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