芝居を手にした黄兎の日々

芝居を再び手にした私が繰り広げる、やや外れた日々。
でも、きっと面白い日々に違いない。
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「はだしの青春」の公演を終えて

劇団フロンティア「はだしの青春」の公演が終わりました。
ご来場いただいたみなさま、本当にありがとうございました。

昨年実験リーグを久しぶりに企画して、「みんなの宅配便」を
昨年3月に上演して、反響や評価をいただきました。
それが終わって、あぁ、次はどうしたらいいだろうなぁ。
こんなに作品をちゃんと観ておもしろく思ってくれて、
次にやる作品はどんなものがいいんだろうなぁ、
プレッシャーだな、と思ったりしていました。

そんな時、共演してくれていた天神さんが、
「これをやりたいんだよね。」と持ってきてくれたのが
この作品、「はだしの青春」でした。
「みんなの宅配便」の次の作品を選べる自信がそのときの私には
無かったので、天神さんがこれをやりたいと言ってくれたのは
とてもよかったと思いました。

私は物事を始めるとき、一番最初にやるものって大体上手く
いくんです。でも、その次、2回目にやるものって私がやるとき
あまりうまくいかないことが多い。だから、次の実験リーグは
慎重に、「みんなの宅配便」を越えるものを作らなければって
思っていました。それを天神さんがあっさり覆してくれた。
これは私にとって大きいことだったし、それだけで
「あ、次は大丈夫だ」って思ったのを覚えています。

今回の公演後のブログは、公演を始めることにしてからのことを
自分の覚書として書いていこうと思います。
こんな風にお芝居を作っていった、稽古をしていった、
そんなことを書いていこうと思います。多分すごく長くなると
思います。本当に暇な人だけ読んだらいいと思うし、お芝居って
どんな風に今回作っていったのかなって気になる人も読んだら
良いと思います。多分、感覚的にわかる、わからないっていう
事が出てくると思います。できるだけ言語化をしたいと思うの
ですが、役者として同じくらいのことができる、分かる人じゃ
ないとわからないことも出てくるかもしれません。

稽古をしていて、多分これは私と天神さんだからわかるんだろうな
とか、共有できるんだろうなっていうことがちょこちょこ
あったように感じました。一つの自分の力がどのくらいなのか
判断する材料にもなるかもしれません。


■古い作品を演じるということ

「はだしの青春」は古い作品です。
古典作品のシェイクスピアやチェーホフなんかと同じ感覚で
のぞまなければならないだろうなぁってなんとなく思って
いました。
古典作品、私は苦手です。
自分の生きた事が無い時代だから、というわけではなく、
演じるために勉強をしなければならないから、という理由が
大きいです。だから、あぁ、勉強しなければいけないなぁって
ぼんやりと思っていたのを覚えています。

そして、自分が無知だっていうこと、知らないっていうこと、
出来ないっていうことを真正面から突き付けられるっていう
ことがあるから苦手、というのもあります。
本当にそれに気が付くのは怖い。できないというのも怖い。
立ち向かわなきゃいけないというのも怖いです。

その時代の雰囲気や考え方、男女の意識差や社会の風潮。
そういうものが考え方や行動の根底にある。
台本に書いてある言葉の意味も調べたりしました。
そういう、とっかかりのあるところからまず少しずつやって
いったのを覚えています。



■役作りのこと

次に、台本を読んで、どうこの作品に自分なりにとっかかりを
つくっていくか、ということを考えました。
古い作品だけれど、演出の天神さんは何をまず大事にするのか。
その時代の雰囲気もそうだろうし、空気感とかもそうかな
って思ったりとか。そんな中で、私としては役作りのとっかかり
としても、今の自分の感覚と変わらないものを探す、という
ことから始めました。

何が自分としては共感できるのか。
今回台本を読んで、演じるミドリを考えた時に、
「ミドリは決定的に自分と違う人間である」
ということを感じました。
きっとミドリと私との共通点は少ない、という風に思いました。

ミドリのことはわかる部分もある。けれど、わからない部分の
方が圧倒的に多い。さらに、演出の天神さんが求めるミドリ像も
よくわからない。キーワードをもらったりしたけど、それをどう
このミドリに落とし込んでいけばいいのかなぁと思っていました。

ちなみにミドリに共感できる部分って、
・三郎のことを一途に思っている所
・他の人に対してやきもちを焼く所
このくらいしか最初は感じませんでした。
だからこれは苦戦するだろうなぁ、前回の「みんなの宅配便」の
桐子のように、自分自身で勝負できる部分って少ないだろうなぁ
って思いました。

これを思った時に、
「自分でミドリのイメージをつくるのをやめよう」
と思いました。
ミドリはこういう人間で、こうするとか、そういう自分自身で
イメージを固めてしまうことはしないようにしようと思いました。
幸い、三郎は天神さんが演じてくれます。
「みんなの宅配便」の時に一緒に作品をつくったアドバンテージを
生かして、信頼関係をベースに、一緒に稽古をしながら作って
いこう、と思いました。

この作り方、実は今回初めて挑戦しました。
いつもは、自分なりに役のイメージや感じをつくってから
稽古に行きます。役を分析しながら理論的に演じています。
ですが、今回は天神さんからの要望もあって、
「役になりきって演じる」という、なりきり型のお芝居の
作り方をすることにしました。役を憑依させるという、
ほぼ感覚だけで作っていくやり方です。
もちろん考えることや考えて稽古をするっていうことは
するのですが、いつも瞬間的に生み出している生の感情を、
役全体、舞台に立っている時に常に展開させるやり方です。

こういう作り方が出来る役者さんは実は少ないっていう
のは、劇団の研究生時代にとある演出家さんから聞いた
ことがあります。
バランスのよい役者になるのが大事、という風に言っていて、
なりきり50:分析50くらいの割合でニュートラルにできる
役者さんを最終的に目指せばいい、みたいな話をしていたん
だと思います。





それを聴いた時から、私もそうなりたいなというのは思って
いて、昔に比べたらなりきり、感覚で出来る部分も増えてきて
いると思います。けれど、今回いよいよそれを意識して、
感覚でできるようにするのに挑戦するときがやってきたんだな
って思いました。天神さんって、こういうタイミングをくれる
のが凄くうまいなって思います。
必要な事を必要な分だけ。
ちゃんといつも見てくれているからできることなのかも
しれません。


■苦戦の連続

役のイメージを作らずに稽古に行く、というのは非常に怖い
ことです。何しろ、どう演じるかっていうプランが無い状態で
稽古をするわけです。
これは天神さんだからやってみようと思えたことで、他の人と
信頼関係が無い状態でこれをやりはじめるときっとうまく
いきません。(少なくとも私は不器用なので出来ないと思います)
なので、他のキャストさんと天神さんとの関係性よりも関係性が
ある状態で稽古をスタートさせるというずるい感じで稽古を
始めました。








まず、稽古では相手の台詞を受けて返す、というところから
スタートしました。その中で生まれた感情とか、行動とか、
そういったものをまず知って、それをどんどん増やしていったり
覚えて積み重ねて行ったりしました。
そして、なりきり型の感覚にまず入れるように、できるだけ
稽古場で、自分の稽古が無い場合も感覚を広げたり緩めたり
解放したりしていきました。

感覚を広げて稽古場にいるというのがちょっと大変だった時期の
ツイート。




これが、なりきり型で役作りをするために稽古場で感覚を広げて
過ごしていた時の心境。多分やりはじめで、自分でもどのくらいの
感覚でいたらいいのかわからなくてしんどかった時期。
ちなみにこの時は、ミドリの焼きもちが大発生していて、三郎役の
天神さんが他のキャストさんと稽古をしているのを見るだけでも
かなりイライラしていた様子。感覚を掴むために稽古場にいるときは
ミドリの状態で居たのですが、大変だったね(笑)
稽古場では絶対変に見えていたと思うけれど、どれくらいミドリの
感覚としてあるのか、ちょっとずつミドリのことを知っていこうと
思ってやっていたのでした。どんどん役と役者の境界線が曖昧になって
いく感覚もあったのですが、とりあえず生まれた感情とかを大事に
したいと思っていたので、しばらくは曖昧のままにしておこう、
という期間でした。


■ミドリのことが急にわかったこと

稽古も大分進んで、何となく形がおぼろげに見えてきた頃。
それでも何だかしっくりこなくて、ずーっとミドリのことを
考えていました。
自分と違う人間を感覚としてなんとなくわかろうとするって
こんなに難しいんだなぁって痛感していました。




ミドリのことが全然つかめなくてわからなくて、色々考えて
居た時に、
「ミドリは私が思っている以上に三郎のことが好きだ」
ということが急にわかった瞬間のツイート。

この時まで、割とミドリの気持ちとかについて大したことが
無いだろう、というのを思っていました。ところが、急に
(なぜかはわからないけれど)ミドリは私の思っている遥か
上まで三郎のことが好きというのが直感的に分かったというか
閃いたのでした。

この時に、初めて実感として、ミドリのことがわかったような
気がしました。それまで、天神さんからは
「ミドリはすごくかわいい」
ということを聴いていて、自分では、なんでこんなやつが
かわいいんだろう。何となくそれはわかるけど、本当にかわいい
のか?みたいな思いがありました。
それが、この瞬間に、あぁ、ミドリってめっちゃかわいい、
やっとわかった、っていう風に思ったのですね。

多分ここが、一番最初にちょっとぐーんと上手くなった
というか、今までよりも演じられるようになった瞬間。

たったこれだけのこと、に思えるかもしれませんが、
こういうちょっとした掴みで急に演じられるようになったり
するんですよね。
そして、これが私にはとても大切で、これがあるから、
演出の天神さんも私と一緒にお芝居をやってくれるんじゃ
ないかって思ってます。やっぱり、自分の言葉とか、
きっかけで役者さんが見違えるほど変わるとか、
変わったのがわかるって面白いと思うんですよね。
だから、そういう面白いという瞬間をつくりたい。
そういう役者さんだから一緒にやりたいって思って欲しい。
これでうまくなって、お客さんにより作品が伝わるように
なったら最高じゃないかなって思います。


■昔のテイストを加える演出

これは私と天神さんのアフタートークの回でもお話して
いたことですが、途中で、昔の人のしゃべり方というか、
「〜よ」「〜ね」の語尾を上げる、という演出が加わりました。

これは一番最初に、
「勉強しなければならないなぁ」
って思ったことに含まれていて、最初にこれをやらなければ
ならないかも、と思っていたまま放置していたことでした。

本当にこの当時の人たちがこんな風な語尾の口調でしゃべって
いたかはわかりません。ですが、映画なんかではこういう
しゃべり方で演技されているし、こういうのをみて、こういう
雰囲気が昭和の時代だ、というイメージを持つ人も少なくないと
思います。

それを、なんとなくお客さんに刷り込む演出。
一瞬でもお客さんに、「あ、昭和っぽい」って思わせればいい。
そうしたら、お客さんの心理としては、昭和を見ている感覚に
なってくれる。そういう演出を叶えるためにこの表現を入れる
というのに挑戦しました。

アフタートークでも言っていましたが、これを天神さんから
言われたのが、連日稽古が始まっていて明日も稽古がある、
という日。そんな稽古終わり。22時は過ぎていたと思います。
演出から言われたことがある、でも時間は遅い。
でも時間はないのか?って言われたら、少しでも時間は
つくれる可能性がある。そんな可能性があるならば、
言われたことをすぐに自分でやってみて、明日の稽古場に
持って行こうと思いました。
できるかどうかはわからないけれど、やってみるっていうのは
かっこいいと思うのです。そして、それくらいやれるんだったら
やらないと、上手くはならないし、演出さんがやりたいことに
私は賛同しているよって伝えられない。

そんなわけで、お風呂に入りながら昔のそんな映像を探して
みて、「感じ」を頭にいれました。次の日はぶっつけ本番で稽古。
天神さんには、
「動画を見て勉強はしてみたけど、できるかはわかんない。
 とりあえず見て。」
とだけ伝えて稽古。

昨日今日の付け焼刃でできることじゃなかったけど(笑)、
天神さんはできてないけど良くなった、雰囲気はでた、
みたいな感じで言ってくれたので、まぁ及第点(笑)
言われたのにやろうとしないのはダメ。
できなくてもやってみるって大事だなぁって思います。

ちなみに、これは単純に語尾の言い方を変えればいいという
ものではないと思っています。
その語尾の感情になるために、そういう気持ちになるために
なぜその台詞を言うのか、相手に何を伝えたいのか、
あるいはどうしたいのか、から出発して、その感情で言葉を
ひっぱる感じです。
テクニックもあるかもしれませんが、今回はなりきり型という
しばりがあるので、とにかく気持ちを動かしてこの感じが
でるようにしていたと思います。

「言い方を変えればいいというものではない」
というダメ出しをされることもあるかもしれませんが、
言い方ではなく、感情を変える、動かすことで生まれるという
のが大前提だなと思います。


■本番を経てミドリになれたこと

ここまできて、本番を迎えました。
この段階でもミドリはミドリ、というところまで作ってきて
いて、お客様に見せられるものはできたなという感じは
ありました。そんな中で本番を迎えて、お芝居仲間から
もらった感想に、私はかなり悩みました。







初日のミドリはこれはこれでミドリだというものだと思って
いたのですが、この部分はこの言葉ではないですが、
自分の中で「もっとできることがあるのでは」という所に
ひっかかっていたところです。

きっと、中島さんには中島さんのミドリ像がみながらあって、
中島さんの想いや理想やイメージがあって観てくれていたから
こういう感想が生まれたんだと思っています。

ですが、私が演じているのは天神さんが描くミドリです。
わたしの演出家は天神さんというのを忘れてはいけません。

ただ、中島さんの感想にはいい意味でひっかかることがあって
そういう部分をもっと何とかしたいという自分の想いも
あったので、天神さんにも相談しつつ、どうしたらいいか、
というのを考えていました。

今のままでも天神さんのミドリ像からは外れていない、という
のはもちろんなのですが、もっとミドリをかわいいと思えるように、
お客様から愛されるミドリにすることで、多分この中島さんが
言っている部分は解消されると思ったのです。
ミドリは多分このイメージの駄々っ子ではないと思うし、
ヒステリックな子ではないと思っています。
そう見えないように、でもそのイメージは取り入れつつ、
今よりももっと魅力的に魅せる。

こういう風に、お客様から色んな感想がでると思うんですよね。
その時に、私はめっちゃ悩んだのですが、その言葉を真に受け
過ぎないというのは大事だと思いました。
言葉を鵜呑みにしない、けれどないがしろにもしない。
自分が受けている演出家の意図ややりたいことをまず優先して、
それにそうように一緒に相談して、考えてまたつくる。
作り上げたい作品はあくまでも演出家さんの想いだということ。
みせるのはお客様だけれど、お客様の欲しいものをつくるのでは
ないということ。演出さんがお客様の欲しいものを含めてつくって
いるならば、演出さんがそれをちゃんと言ってくれるだろうし、
踏まえた上で演出してくれる。
そんな信頼関係をちゃんと作っておくっていうのは大事だなって
思いました。

そして、こういうのは、お客様に観ていただかないとわからない
部分です。そういう意味では、本番と本番の間に稽古が出来る
というのはフロンティアの公演の面白い所です。

1日目、2日目の公演を終えて、次の私の課題は、
「ミドリがかわいいと思えるように(もっと)する」
ということでした。


■一番わたしが下手だった

本番を2回終えて、木曜日まで稽古がなかったので、写真の整理を
しながら、本番の録画映像でもみてやろうかな、って思いました。
いつもは見ていないのですが、お芝居の感覚を忘れたくなかった
ので、ほんの出来心で見ることに。

そこで気が付いたのは、自分がとてつもなく下手に見える、
ということでした。演出の天神さんから言われていたのに、
しっかり立つということが意識できていない。
いつの間にかしっかり立てていないミドリになっていました。

これにはかなり落ち込んだのですが、本番はやってきます。
まず、しっかり立つ、ということについて考えました。

このとき、しっかり立つというのは、物理的に立つという
ことではないなってなんとなく思いました。
物理的に意識して綺麗に立とうということでも直すことは
できます。けれど、それはミドリになりきって演じている
わけではない。もっと根本的なところから直さなければ
ならないと直感的に思いました。

そこでふっと思ったのが、
「ミドリって自信がある子だよね?」
ということ。

民江がやってきたのに、後ろ盾や親やそういったその時代の
社会があるのに、居座ったりして、三郎との関係を切ろうとは
しない。身を引いてもおかしくない状況なのに、三郎は
自分を選ぶ、選んでくれるはずという信頼と自信がある。

これって、私にはあんまりないなって思いました。
そして、この時点で演じていたミドリが自分にかなりひっぱら
れてしまっていると思いました。
それまでは、自信が無くて不安、それでも三郎を信じている、
という感じだったのですが、これは多分ミドリではなくて、
私自身の性質だったろうと思いました。
なりきってお芝居を作っていて、出てきた生の感情を積み重ねて
いくとき、その出た感情が、ミドリとしてでているのかを
きちんと精査しないまま演じ続けていたせいかなと思いました。

そこで軌道修正。
ほんの小さなことかもしれないけれど、その点を修正して
木曜日の稽古で試してみました。
その点を変えただけで、ミドリの印象も大きく変わったし、
キラキラ感、そしてヒロイン感も大きく出る感じになりました。

見た目や小手先で直すこともできる部分だったかもしれない
けれど、そこをちゃんと根本から考え直すことでミドリを
生かしてあげることができて本当によかったなって思いました。


■ミドリをかわいいと思えるには

その修正を経て、キラキラしたミドリという面を出すことで、
三郎の前でかわいくなる、ミドリをかわいいと思えるように
するという所が考えやすくなりました。

最初の、家主と三郎とミドリのシーンと、
その後の、三郎とミドリだけのシーン。
関係性を変えることで、三郎とミドリだけの時のミドリを
少し変えることにしました。
本当に親しい、多分、好き嫌いを越えた信頼とか、愛情とか、
そういった部分を日常感を出すことで魅せられないかなと
思いました。

そこで、いつもなら怒っていたところを、
怒っているけれど、相手のことを考えたり、相手のことを
許しつつも怒っているという感じに持って行ったらどうか、
と思ってやってみました。
この部分、仕事をしながら閃いて、三郎役の天神さんには
内緒で通し稽古の時にやってみよう〜と思ってやりました。
多分天神さんなら気が付いて受け方を変えてくれるな、
と思ってやりました。

稽古が終わった後に、「なんだなんだ違うぞ」と思いながら
やってたし、新鮮でこっちの気持ちも動かされて、
三郎のキャラもでてきた、という風に言ってもらえて
なんとか良かったなぁと思いました。
もちろんそのあと、「自分じゃなかったらできないから!」
って軽く怒られたよね!(笑)
私も天神さんじゃなかったらこんなぶっつけで何も言わずに
やってません(笑)
だから、こういう役者さんと一緒にお芝居ができるって
本当に幸せだよね。こういう瞬間がこの稽古場には
沢山あったんですよね。

ここで、最初のシーン、三郎との二人のシーン、
最後のシーンと大きく分けて3つ、雰囲気が違うものに
することができました。ほんの些細なことなんだろうけど、
そういうところに気が付いてやってみるっていうのは
本当に大事だなって思いました。

その時に、私が変わることで空気が変わったことを見て、
「お芝居の、このシーンの空気は三郎じゃなくて
 ミドリが作っているっていうことがわかったね。」
って天神さんが言ってくれたのが印象深かったです。
本当に最後の最後まで諦めないで私の稽古を見てくれて
ありがたいです。

そんなわけで、本番と稽古を経て、ようやく私のミドリは
ミドリとして舞台の上で生きることができるように
なったと思います。多分このミドリは私だからできる
ミドリであって、私と天神さんだからできる空気感
だろう、と思います。
他のこの作品をやった人たちから見たら違うかもしれない
という不安や心配はありますが、私のミドリはこうです、
とようやく言えるものになったんじゃないかなって
思います。

なりきった時の空気のまとい方も、静かに、気が付いたら
自分の周りに空気の膜があるような、その空気がゆっくりと
じわじわと舞台上と交わっていくような、広がって裾野が
とけて自然になっているようなところまでできるように
なりました。最終的には、舞台の上に上がったら、その
舞台の空気に馴染んで、すっとミドリとして舞台の上で
生活をするというようなことができるくらいにはなりました。
昔なりたいと思っていた感じになれたかな?
どうかな?でもきっとまだまだなんだろうな。
まだまだこれからも伸びていきたい、そんな役者で
ありたいと思います。


■呼吸をするということ

今回天神さんに言ってもらってとてもためになったのが、
「呼吸をするということ」。
これは本当に出来そうでできない。(笑)

わたしはかなり意識して呼吸をしてお芝居をするという
ことをやりました。自然ななりきったお芝居にまでこの
呼吸を落とし込めたかはわからないけれど、息をする、
呼吸をするというお芝居で空気感がよくなったシーンも
結構あります。

言われたその時はできる、っていう人は結構いると
思います、けれども、それを持続して、言われなくても
ちゃんと出来続けるという人は少ないように思います。

自分のものにしようとしてそれをやっていくかどうか。
多分ちょっとした意識の差なんだと思うけれど、
そういうものって確実に力量の差につながっていくんじゃ
ないかって思っています。


■稽古場で新しいものが生まれた瞬間

今回の稽古場には、私と天神さん、そして客演の紋川さん、
フロンティアの岸本さんと潤子さんがいました。
潤子さんの家主と絡むシーンがあって、短いのですが、
ちゃんと私が受けて出せないといけないなぁという
難しさがありました。

そんな中で稽古をしていて、潤子さんとのお芝居の中で、
いつもは噴出さない潤子さんが、あるセリフでちょっと
笑っていたのを見ました。
その時に、あぁ、この台詞はもしかしたらミドリを
和ませるために、わざとではないけれどそういう気を
遣ってくれる意味合いもあってそうなったのかなぁと
ふと思いました。
その潤子さんのお芝居に私も乗って、そのシーンは
本番でおみせした形になりました。

家主との距離感も生まれたし、潤子さんは多分初めて
稽古をしていて新しい表現がでて、それを掴むという
経験を相手の役者さんとしたんじゃないかなって思いました。
これが出たときの潤子さんは楽しそうでした。
潤子さんも何か腑に落ちたみたいで、潤子さんに
こういう体験が生まれて良かったな、この作品に参加
してもらった価値があったなと思いました。


■気づく、気づかない。知っている、知らない。

わたしが多分一番好きな台詞は、ミドリでも三郎でもなくて、
民江の
「待ってるからな、銀座で」
という台詞だと思います。

この台詞は、ミドリと三郎の掴み合いの喧嘩を見て、
自分にはこのふたりの間に入ることが出来ないという
ことが分かった上で民江が三郎にかける言葉として
演出されていました。

この感じ、多分わかる人にしかわからないと思うんですよね。
どんな些細なことかもしれないけれど、きっと経験や体験と
して、こういう状況や気持ちになったことがないとわからない
ことなんだと思います。(だから若い時にいっぱい恋愛は
些細なことでもいいからしておけっていうおばさんの戯言)

「好き」が出てくるお芝居は、こういうところが難しいと
私は思っています。難しい、というか、恥ずかしい、
ということなのかもしれません。

体験とか経験にまず気づく、気付いたらそれを役に落とし込む。
まず難しいのは、体験とか経験があること。もちろん無くても
出来ると思うけれど、難易度が変化するはず。
次にそれを役に落とし込むとはいえ、人前にだせるかということ。
それが出来るということはこの人にこういう経験があるな、
というのがわかるということ。ここが恥ずかしいポイント。
自分をだせるかというのが難しい人もいるはず。

次に観ている人に伝わるように表現できるかということ。
そして、その役の言葉としてだせるかということ。
自分の体験などを役のものとして適切なチョイスをして
表現できるかということ。

また、相手役などとの関係性で、難しいかどうかもかわってくる
と思います。初めて会う人とお芝居するときにいきなり
「好きになれ!」と言われても戸惑ってしまいますしね。

だから、この台詞はとても難しくて繊細だと思います。
私も一発でできるかはわからない台詞です。
でも、この感じが分かっていれば稽古をしてできるようにする
ことが出来ると思うんですよね。知っていたとしても、
気が付かないと、ひらめかないと、「あ、あれだ」って実感
しないと引き出しからは出せない。
この気づきは、稽古以外の時間でもできる。
急にできるようになるのは、こういう気づきがあるからだって
思います。


■アフタートークの質問

そうそう、アフタートークで聞かれてしどろもどろになった
ことについて、ここについでに書いておこうと思います。
アンケートに「ミドリは本当に三郎のことが好きなのかな」
と小さく書かれていたものもあったので、それも含めて
おければ。

「おふたりが、それぞれに三郎を好きという表現を
 どんな風にふたりで作っていったのか教えて欲しいです。」

民江は、三郎の事も好きだけれど、三郎と結婚することに
よって、東京での自分の理想の生活ができる、という事を
含めて好きでいるということ。

ミドリは、純粋に三郎の事が好き。

そんな対比として作っていったように思います。
民江は最後の「待ってるからな、銀座で」の台詞が
さっき書いたような演出になっているので、
心の底、どこかではちゃんと三郎のことが好きということに
なっています。これを民江役の紋川さんがどんな風に作って
いったのかは私も確かに興味があります。

ミドリは純粋に三郎のことが好き、というところは
ブレないようにしました。
ただ、三郎とミドリは結婚の約束ができるレベルの仲です。
民江よりも付き合いが長いと思うし、ミドリは三郎の家に
結構出入りをしています。
だから、純粋に好きだけれども、それは甘酸っぱいだけの
ただの恋愛とは思っていません。
きっと好きは当たり前で、それを越えた好きがあるんだと
私は思っています。

だから、惚れたはれたというような、恋愛の初期という感じ
の表現ではないなぁというのは思っていました。
多分稽古でも言われていたけれど、ふたりでいるときの
空気感や近しい感じ、そういうもので、このふたりの間には
ほかの人が入り込めない様な時間や、想いがあるんだろうな
っていう風に見えたらいいなと思っていました。
だから、アンケートに「ミドリは三郎のことが好きなのかな」
というのが書かれたのは、ポジティブに考えれば好きが
当たり前で、そういう表現の好きではないように見えたから
そう書かれたと思うし、ネガティブに考えればそういう点は
役者間でもうあるから、何もしなくても出るだろう、という
怠惰だったのかもしれません。
うん、まだまだ足りないことは沢山あるなぁ。


■演出に褒められるためではない

私の好きな演出さんの言葉にこんなのがあります。




このツイートを最初に見たときは、妙に納得したというか、
あぁそういうこともあるなとか複雑な気持ちになったのを
覚えています。

養成所とかに居たときも、講師の先生に褒められるために
やってるのかな?上手くなるためじゃないのかな?って
思ったこともあったかもしれません。

今回の稽古が始まって、最初の頃の方から違和感みたいな
ものはあって。すごく楽しい稽古場で、役者さんたちも
すごく楽しそうで。でも、その楽しい感情が、できて嬉しい
とか、できなくて悔しくて楽しいとか、そういうのじゃ
ないんじゃないかなって思う瞬間があって。

その時に、これを思い出して、もしかして演出さんに褒められる
ためにやってるのかな。何か、声を掛けてもらうのが嬉しい
だけで、そのためにやっているのかなぁって思ってずっと
いました。

私は天神演出がめっちゃ好きなので、演出してもらえるだけで
嬉しいし、言われたことを何とか形にしたいと思っています。
出来ないことを言われることが多いけど、それをやれば自分が
上手くなっていくだろうし、やりたい作品の形にそれが必要
なんだろうなって思ってやっています。

天神演出は優しいけど、厳しい。
ただただ稽古に行っても演出はしてくれないと思っています。
自分でどうしたいか、あるいはどうしたらいいのか迷っている
けれどこんなことを考えている、そんな、稽古の時間以外で
やってきたことを持ってくるのが前提だと思っています。

それがあって初めて、
「じゃあ見せて。」
「とりあえずやってみて。」
になって、そこで形が伝わればもっと良くする方法や表現を
見つけてくれる、一緒に考えてくれる。
できなかったら、他の方法や天神さんがやって見せてくれる。

だから、天神さんが演じて見せてくれるって、一見優しく
見えるけど、それは役者としてはすごく辛い。自分で考える間も、
1度でもやってみるチャンスも何もないから。そうなる前に
自分で見つけられなかった、持ってこられなかったって思うから、
そうならないために、何か、何か、っていつも考えていたような
気がします。

そして、良く見ていると、ちゃんと前に進んでいる役者には
次のステップを伝えている。変わらなければそのまま。
前に進まなければ、次を見てもらえない。
そんな厳しさもあると思います。

最終的には本当に天神さんは何も言わなくなります。
本番前ってほとんど新しいことは言っていなかったように
思います。その期間を、きちんと自分で何か見つけてもっと
よくしようと思って稽古ができるかどうか。
もっとこうしたいといえば付きあってくれるし、受け身で
稽古場に来ていたら、「よくなった」「よかったですよ」で
終わってしまう。本番前は天神さんも自分のお芝居をつくる
ことに専念してくるので、お互いにどう稽古をしていくか、
に切り替えていかなければいけないな、とも思います。

大きくいってしまえば、私だって天神さんに「できたね」って
言ってもらうためにやってるんだって思います。
演出をつけてもらうために、ちゃんと見てもらうために、
見てもらえるように作品のことや役のことを考えてきているの
かもしれない。
でも、そこで終わらずに、そうするのは、演出さんの意図通りに
作品をつくりたいっていう最終的な想いがあるんだと思ってます。

だって、それができる役者でいないと、きっと天神さんと一緒に
芝居をずっと作っていく事なんてできないと思うよね。

演出をやっていて、何が嬉しいだろう、どんな瞬間に演出を
やっていてよかったって思うだろう。お客さんから沢山の拍手や
感想や評価をもらうまでに、稽古場で、役者がどうやって
演出さんのモチベーションをつくっていったらいいだろう。
私にできることなんて少ないけど、この役者さんとお芝居が
つくれて良かったなって思える瞬間を少しでもつくりたいって
思う。

それがなくて、稽古場に来て、何か言ってもらって、教えて
もらって、褒められて、そんな刹那的な稽古を見ていると
本当に悔しいって思う。その時間を私に欲しいって思う。

私の勝手な想像だけど、もしそうだとしたらとても悔しい。
間違っていてほしい、っていう風にも思う。
だけど、私には上手くなった瞬間があんまり見えなかったら、
上手くなった瞬間はあったと思うのに、本人も何とかしたいと
思っていたから尚更、上手くなった瞬間に出会いたかった。


■受ける芝居は静かに凄い

ここで天神さんのことを褒めに褒めておかなければなるまい。
お客様からのアンケートを読ませていただいたけれども、
三郎がクズなやつのせいで、天神さんが評価されいる様な
されていないようなそんな感じなのである(笑)

クズやどうしようもないやつ、もっとしっかりしろ!は、
天神さんがそういう風に三郎を魅せているということ
なので、その点は言ってもらえると多分嬉しいんだろうな
と思います。そういう感想を見ると、あぁ、やっぱり
そういう風にみせたいと思って、観る人にそう思わせる
ことができる天神さんはすごいなぁって思います。

三郎は他の女性陣から言われたり、責められたり、
怒られたりと、基本的に受け身になるシーンが
多く見られました。天神さん曰く、「受ける芝居を
今回はしている。」ということだそうです。
自分から何か言うシーンは、ミドリと言い合いを
するところ。それ以外は基本的に他の人の芝居を
受けています。

天神さんがさらりと凄いのは、相手が誰になっても、
受けるクオリティが変わらないということです。
これって凄く難しいんですよ...。
相手の芝居が常に同じだったとしても、それを毎回
きちんと受けて返す。慣れてくるとどんどん飽きて
くるのですが、新鮮な空気に見えるようにして
いたりするんだと思います。

私の芝居がなかなか変わらなかったので、ミドリの
シーンはつまらなかっただろうなぁと後から思い
返すとそんな気がします...。
だから、相手の役者さんは、安心しないで、
どんな球でも受けてくれるので、色々試行錯誤して、
やってみるのがいいんだと思います。
それがちゃんとできていたら、もっともっと天神
さんの三郎のシーンは面白くなっていたと思います。
面白かったら天神さんのお芝居のお蔭、つまらな
かったらお芝居を投げている私のお芝居が良くない
せい、そんな感じです。

この受ける芝居って目立たないんですよね。
静かにそこにあるから気づく人の方が少ない。
だから、本当は上手いのにそれに気づかれないのが
毎回毎回悔しく思っています。


■天神さんが三郎に見えた瞬間

こっちもできれば忘れないように書きとめておきたい。
外から見ているのと、一緒に芝居をしているのでは
見え方が全然違います。やっている方はまだまだ
できてないな、と思っても、外から見たらいい感じに
見えていることもあります。

私は基本的に舞台上で天神さんを見ることが多いの
ですが、稽古をしていた時に、急に天神さんが
「あ、三郎だ」
って思った瞬間がありました。

この時、あぁ、ミドリはなんで三郎が好きなのか
なんかわかるなぁって思ったのですね。
向き合ってしゃべったり言い合いをしているとき
の三郎はなんかカッコいいです(笑)

稽古をしていてこういう瞬間があると面白いなぁ
って思います。これも「気づくかどうか」なんですよね。
ちなみに私が自分で自分をミドリだなってようやく
思えたのは、ゲネプロの時にカメラマンの窪田さんに
とってもらった舞台写真で自分を見たとき。
窪田さんの腕もあると思うけど、そのときにようやく
あ、これはミドリだって思えました。
そう思える瞬間があってよかった。

そうそう、演出をしているときの天神さんはすごく
穏やかで、瞬間的に一所懸命な空気になったり、
厳しくなったりします。完全に稽古が終わると
ぽや〜んとしているので、それをみると、
「......三郎を演じている人とは思えない。。。」
って感じになります(笑)


■のとえみを観に来て下さった感謝

今回お客様からのアンケートを見せていただいていて、
本当に沢山、沢山の方が、のとえみを、天神祐耶を、
見たいから観に来た、と書いて下さっていました。
これを見ただけで胸がいっぱいでした。
中には「えみてんを見に来た」という方や、
「天神祐耶とのとえみを見に来た」と書かれている
方もいらっしゃいました。

昨年の実験リーグからは信じられないくらい沢山の
方に私と天神さんを知ってもらっていて、
たった1年しかあれから経っていないのに、
本当に本当にありがたいなと思いました。

フロンティアでお芝居をしてから今年で10年に
なります。その間、もう辞めたいって言ったことも
何回かあります。止めてくれた人も、何も言わずに
いた人もいました。

ただ楽しく芝居が、死ぬまで続けられればそれで
いいや、と最初は思っていました。
それでも、自分がやりたい役やこれは好きだと
思う作品は、少しでも自分がやりたいことをやれる
ようにやりたいって思ってやってきました。

自分が誰かのやりたいことのために頑張れば、
いつか私がやりたいことができたときに助けてくれる
かもしれない。私がやりたいようにやらせてくれる
かもしれない。
そう思ってやってきて、上手く周りにそれを伝え
られなかったけれど、何とか実験リーグをやらせて
もらいました。

良い作品をつくれば、のとえみが面白いことを、
いい芝居をすれば周りももっとやりたいことを
やらせてくれるかもしれない。そう思って去年
頑張ったけど、なかなかそれを形にできなくて、
今回の実験リーグもまた周りに迷惑をかけながら
スタートさせてしまいました。もっと私がうまく
できればって何度も思いました。

それでも、こうやって、お客様から沢山、
「のとえみを観に来たよ」と言ってもらえて、
本当に今まで続けてきてよかった、って思いました。

劇団フロンティアは私よりも長く劇団で演劇を
続けてきた役者さんが沢山います。
なかなか思うような役をとれなかったり、
お客さんの印象に残るようなお芝居ができなかったり、
全ては私の力不足なんだけど、ずっとずっと、
劇団フロンティアの看板女優になれる日はきっと
こないんだって思っています。

そんな中で、ようやく、お客様に役者として観たいと
思って観てもらえる日が来たんだなって思うと
本当に嬉しい。

観たいと思って観に来ていただいたお客様に、
ちゃんと私は返せたでしょうか。
観に来てよかった、やっぱり良かった、今度も観に
来たい、この役者さんが好きで良かった。
そんな風に思ってもらえたでしょうか。

Facebookでいつも見てくれる常連のお客様、
アンケートをいつも書いてくれるお客様、
私のことを気にかけてくれるお客様、
今回初めて観に来て下さったお客様、
twitterで感想をつぶやいてくれたお客様、
メッセージやダイレクトメールで感想をくれたお客様、
本当に本当にありがとうございます。
その一言のお蔭で、私はここまで来れました。

そして、あの時。フロンティアの「まほろば」の
公演の時に、「よかったら観に来て下さい」と
天神さんに声を掛けて本当によかった。
今にして思えば、私としては頑張ったけど、
あのお芝居で自信持って観に来てって言えるなんて
メンタル強いな(笑)って思うけど。

役者仲間にも、お客さまにも、本当に今回恵まれて
いるなって沢山沢山思いました。
本当にありがとうございます。

スタッフさんにも恵まれました。
わからないなりに自分の役割と向き合って、少しでも
よくできないかなって思って参加してくれていたり、
照明でもお芝居をしてくれたり、誰が見るんだ!?
っていうところまでこだわって小道具をつくって
くれたり、いい感じにめざしの焼き加減をこだわって
くれたり、毎日おいしいご飯が食べられたり。

いっぱい写真を撮ってくれたり、ここまでお客さんに
支持されるフライヤーの写真を撮ってくれたり、
完成度の高いフライヤーにまでアドバイスをして
いただいたり、お芝居も何度も観に来ていただいたり。
本当に素敵なスタッフさんたちばかりでした。

次の劇団フロンティアは50周年記念公演です。
私はその舞台の上には居ません。
フロンティアの5分の1の年月を過ごして、
大きい顔して(笑)舞台に立とうって思っていたけど、
私は、私と一緒にお芝居をしたいと言ってくれる
役者さんと、演出家さんと舞台をつくります。

フロンティアのお客さまは、フロンティアの公演だから
観に来てくれているのだと思います。
私が次に立つ舞台は、そんなフロンティアの公演では
ありません。それでも、観に来てくれるお客様が居て
くれると信じて、素敵な作品を作りたいと思います。

次は、天神さんと私と、そしてまだ見ぬ素敵な役者
さんたちとお芝居を、舞台を作りたいと思います。
どうぞ、観に来て下さい。
何の後ろ盾も、しがらみもないふたりですが、
きっと面白い、お客様が出会ったことが無い気持ちを
教えてくれる舞台にしたいと思います。

どうなるかわからなくて心配で不安で泣くことも
きっとあると思うけど、楽しい舞台を、観に来て
良かったと思えるものを作りたいと思います。

また、舞台の上でお会いできるのを楽しみにして
います。
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