芝居を手にした黄兎の日々

芝居を再び手にした私が繰り広げる、やや外れた日々。
でも、きっと面白い日々に違いない。
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公演を終えて



公演が終わってから、既に3日ほど経とうとしています。
昨日は、舞台セットをバラしました。
あっという間でした。

ちょっとずつ解体されている様子を見たくなくて、
下を向きながら、部屋の、桐子の部屋を片付けて行きました。

ほんの少しずつでも終わらせていかなければ。
ずっとそう思っていますが、いつもよりもその歩みは
遅いかもしれません。

とりあえず、ひとつまた自分の中で終わらせていくために、
ブログを書いておかなければなりません。
こうやって、少しずつ、1つずつ終わらせていかなければ、
私の心がもたない気がしています。
もう、次を向かなきゃ、前をみなきゃ。
強制的に実は前を向かされているんだけれど。
それはまだもうちょっと先の話。

かなりこの公演は私にとって大きなものだったようで、
どれだけの言葉がここに書かれることになるのか、
私にもわかりません。打ち上げの感想文があれだけなのだから、
いやー、どうなるんだろう(笑)

できるだけ整理して書くけれど、それでもとりとめの
ない書き方になってしまうかもしれません。
それでもよければ、「続きを読む」からどうぞ。
もしかしたら、人によってはそれは淋しいことであったり、
嬉しいことであるかもしれませんね。

■本当に演劇が好きなのは誰なのか

今回、観客動員は少なかったけれど、2人とも、実は
満足しています。それは、本当に観に来て欲しかった人、
に、観に来てもらえたからだと思っています。
私は、最初からあまり期待はしていなくて、県内の、
演劇をやっている人に観に来てもらいたい、という
思いでありました。

結果、思いがけない人が観に来てくれて、うれしい感想を
言ってもらえたり、本当はこんな人なんだ、っていうのが
わかったりしました。
観に来た人のことを知れるチャンスをいただきました。
本当に観に来てくださったみなさん、ありがとうございます。

そんな中、千秋楽まで終わってわかったのは、

本当に演劇が好きな人
自分の劇団(あるいは集団)が好きな人
自分が好きな人

が居る、ということでした。
それが今回何となくわかった、というか、ようやく自分の
中で、それを受け止めなければならないというのを
目の当たりにしました。

役者として舞台に立っていても、それは演劇が好きだから、
という限りではない。演劇が好きでも、それは自分が
やっている演劇が好きだ、に留まっているということ。
本当に演劇が好きな人は、ほんの一握りしかいない、
ということ。

この公演が終わって、私も、そして共演者のてらしーも、
演劇が好きだということからはもう、逃げられないし、
否定できないっていう気持ちだと思います。
本当に今回は稽古が楽しかった、本番も、演劇も、
全部全部楽しかった。どれも楽しかった。
心のどこかで、演劇をやっている人は、きっと、もっと
演劇が好きなんだって信じたかった。
でも、そうじゃない。
当たり前だけど、そうじゃない。
こんなに演劇は楽しくて面白いけれど、そうじゃない人がいる。

あぁー・・・本当にそれを私は認めたくなかったんだと思う。
悔しい。

本当に芝居を観てほしかった。
下手だけど、観てほしかった。
観て、悔しく思って欲しかったし、もっと、私たち以上に
演劇が好きだっていう人に出会いたかった。

もちろん私は自分のために演劇をやっているんだけど。
拍手を貰いたくて、凄いねって言って欲しくて、
他の人よりも特別でいたくて。
だけど、それを越えて、あぁ、演劇が好きなんだって
分かってしまった。そういった言葉は、演劇が好きだと
言うのをごまかしているに過ぎない。

だけど、わかったこともある。
この人は、実は、本当に演劇が好きなんだってわかった
人もいる。本当に嬉しい。本当に、嬉しい。
そういう人と、やっぱり演劇をやりたい。

そうでない、と思った人も沢山いる。
あぁ、結局はそうなんだ、演劇でなくても、それは
いいのかもしれない。上手くならなくていいのかもしれない。
それが沢山見えてしまって、悲しい。そして悔しい。
もしかしたら、好きだって気が付いてもらえたかも
しれないのに、私はそれができなかった。観に来てもらうことが
できなかった。もう自分勝手なことなんだけど。
だって、その人にはそんなこと必要ないし関係ない。



■テキストを越える、ということ

今回の一番の収穫は、「テキストを越える」ということが
どういう状態なのかを体験したこと。
そういった瞬間に何度か出会えたこと。

きっと今までも出会っていたんだけれど、それは、
セリフが100個あったら、2〜3個くらいだった。
今回は多分、半分近くくらいはそういう瞬間で、
そういう台詞を出せていたんじゃないかって思う。

これは本当に共演してくれたてらしーのお蔭。
もちろんてらしーの方がうまいんだけど、それでも、
何とか頑張って、同じくらいになりたいと思って、
稽古ができたおかげだと思う。
同じくらいか自分より上手い人と芝居をすると、本当に
こんなに、毎回毎回違うものが生まれるんだってびっくりした。
稽古って本当に楽しいんだ、面白いんだって思った。
あぁ、今までやってきたのは稽古ではなかったのかもしれない。

芝居を作るとき、まず台本を読む。
読んで、自分で思い描いたしゃべりかた、声の出し方、
トーン、感情の変化・・・そういうのを頭の中に思い描く。
そしてそれを、形(=芝居)にする。

今までやろうやろうとしてきたのは、ここまで。
これができればいい、ってずっと思ってた。

けれども、それよりももっと先がある、ってことを知った。


アマヤドリ 広田さんのTweetより
https://twitter.com/binirock/status/820823925697318912

今まで私がしてきたのは、テキストと向き合った範疇でしかない。
それを越える、というのが稽古だ。
その越えるための稽古が体験できたのは本当に嬉しかったし、
それがあると本当に稽古が面白かった。
これは私だけでは絶対にできない。てらしーがいたからこそ。

だから、私は本当に幸せだと思う。
このタイミングで、同じ歳で、「演劇」を「芝居」をちゃんと
分かった人が身近にいてくれて。これって、本当に凄い確率だと思う。

今回は自分でもこんな表現出るんだ!ってびっくりした所が
いくつもある。

最後の方の、電話のシーン。
あんな短いシーンで泣けるとか思ってなかったから、稽古をしてて
なんか泣いたとき自分で驚いた。こういうのできるんだなって。

それから、最後までずっとできないって思ってた、荷物を佐竹さん
宛にしたのが佐竹さんに知れて、言い訳をするところ。
あそこは本当にできなくて、ここは最後までできないかも、と
思ってたけど、稽古でするっとできた瞬間があった。
あ、これだって思った。

長台詞は最後までできたかどうか自信は無い。
でも、自分がイメージする手前くらいまでは何とかできたんじゃ
ないかった思う。できそうっていう瞬間は目の前にあったと思う。

細かい所は、稽古をして、あ、もしかしてできたかも、
これでいいかも、っていう積み重ね。
あー・・・楽しかったなぁ。
そして次が怖いね。
私、ちゃんと今以上になれるんだろうか。



■一番嬉しかったのは最高に優しくて諦めなかったこと

とりあえず今回一番凄かったてらしーのことを褒めて
置かなければならない。
本当に共演できた私はめっちゃ幸せだと思う。
羨ましいだろう、と言いふらしたりしたいレベル。

反省文の方にも書いたけど、
私はあんまり求められたり、期待されたりされていません。
最初からあきらめられていることもよくあります。
それは、相手からすればネガティブではなく、
「他に手を掛けなければならない人がいるから」という
演出の目線からすればまずそれだ、というような当たり前の
ようなことからです。

でも、それは私も初めからわかっていたし、それでもいい、
と思ってきました。けれど、私はそんなに上手い方ではないし、
器用な方でもないし、自分一人ではきっとこれ以上は
上手くなれないなって思っていました。
そんなとき、やっぱりアマヤドリの広田さんの記事を見て、
なんかとてつもなく泣けてきて、やっぱり嫌だ、って
思った記憶があります。

演出家は絶対に俳優のことをあきらめちゃいけない。
【アマヤドリ主宰・広田淳一が語る劇作・演出論(4)】
http://gekibu.com/archives/4281

諦められるって、役者にはわかっちゃう。
わかっちゃうんだよね。
その瞬間に出会うのが本当に悲しい。
私にダメだししにくいんだろうなぁっていうのもわかる。
なんか言いにくいんだろうなぁって。
それは私のせいなんだろうけど、でも、それを押して
言わなきゃいけない時ってあるんじゃないかなって思う。

そういう瞬間に何も言われないと、あぁ、もういいんだなぁ
って思ってしまう。そして、あぁ、私にちゃんと向き合って
くれないんだなぁって思う。

でもこれは多分本当、私のせいなんだろうなっていう
気持ちはある。だから、今まで気にしてこなかったし、
そういう風に扱われていても、仕方ないかなって思ってた。

だけれど、今回はそういうのが本当になかった。
絶対に、最後まで、例え途中で失敗しても、絶対に、
諦めなかった。それは本当にてらしーのお蔭。

最初でミスしても、途中でミスしても、絶対に最後のシーンに
辿り着くまで、そのミスを芝居で上書きする、って思ってた。
絶対に、最後のシーンまで行けば、なんとかなる、
そう芝居を作ってきた。絶対に投げ出したりしなかった。
こんな風に頑張れたのはてらしーのお蔭。

本当に私は自信が無くて、どこまで行っても、できた!って
思っても自信が無くて。絶対に大丈夫だって何回も言ってくれて。
でも、本当に大事な、私が決めなければいけない長台詞の所や、
その後の一人のシーンは、全部私に作らせてくれて。
迷っても、不安でも、私の物語にしようとしてくれたのは
本当に感謝しています。

東京に行ったタイミングで、私が必要としていた芝居を
観られたことも、友達が見たいって言ってくれて、
カラオケ行って、2人で台本読んで、10年ぶりくらいに
あったんだけど「上手くなったね」って言ってくれて。
それも全部ひっくるめて私はあの公演の初日を迎えることが
できたんだけど、それでも、そこまでなんとか頑張れたのは
それまでの稽古を、私を諦めないでいてくれたてらしーが
いてくれたからだと思ってます。

わたし、本当に、一緒に芝居をしてくれる人が欲しかった。
養成所の仲間も、劇団の仲間も、大石組の仲間も、結局は
みんな一生一緒に芝居は出来なくて。
東京の劇団に居たときも、あぁ、わたしはこの劇団で
一生芝居はできなくて、富山に帰るけど、私は、私が好きな
人たちともう芝居はできないんだって思って。
プロには向いてない、だって、好きな人と芝居がしたいだけだって
あの当時気が付いてしまって。でも、その一緒に芝居をしたい
人たちはみんなバラバラになってしまって。

富山で、フロンティアのみんなも楽しいし、きっと
私が好きな人たちはこの人たちなんだって、ずっと思って
いたし、これからもそうだけど、少しずつ、みんな、劇団から
離れていって。私がいなかったら、もしかしたらみんな
戻ってくるのかなって思って。
最近、ずっと、ずっとそう思ってます。

だから、一緒に、真正面から芝居をしてくれて、楽しくて、
いっぱい楽しくて、笑ってくれて、おしゃべりしてくれて、
本当に本当にありがとう。もう何回言ったか分かんないけど。
もうこれで終わってもいいかなって、そういう気持ちにも
なったけど、結果、なんだかそうじゃない感じになって、
複雑な気持ちです。

でも、面白そうだなって思ってます。
いや、これきっと面白いと思う。
そして、もう悔しがらせたい!!!
一緒にやりたいんだーーーーって言わせたい!!
だから進まないと。
もう進んでるかもしれないけど。



■言語化するということ

私はこうやってブログを書いたりFacebook書いたり、
Twitterやってたり。昔から割と文章を書くのは
好きだったので、文章を書くことにあまり抵抗は
ありません。
書きたいことも、多分割と適当な言葉を当てはめる
ことができていると思います。

感想も割と言いたいことを言葉につなげられている方
だと思います。

こうやって書いていると、
「言語化できる人は少ないから、書けることは書いた方がいい」
という感じで言われることがたまにあります。

そうなんだー、と個人的には思っているけれど、
イマイチピンとは来ていなかったです。

それが、今回のアンケートをみて、ようやく腑に落ちた。
あぁ、言語化するっていうのは難しいことなんだ、
という感じで。
これは誰が悪いということではなくて、あぁ、そうなんだ、
と納得したので書いているだけです。

出てくるお客様は凄く、なんとも言いようがない空気を
持ったまま出てきて、よかったという雰囲気は伝わってくる。
何か言いたいのだけれど、「良かった」「面白かった」
みたいな簡単な言葉で、その裏に、もっと別の、細かい
感情みたいなものが見え隠れてしている。
アンケートも凄くいっぱい書いてくれてたというのを
聞いて読んでみて、その空気をまとって出てきた、その
空気とか思いみたいなものを書けている人って
なかなかいないんだなと。

観終わってすぐだから、言葉に直結させるのはもちろん
難しいんだけど、それでも、感じたことを具体的な
言葉にして書くのって難しいんだなぁって。
逆に言えば、本当に純粋に何も考えずに舞台を見てくれて
いたんだなぁということですよね。

特に、自分が思ったこととか感じたことを言葉に
落とし込むというのは、練習や訓練が居るんだと思う。
私も昔はもっと曖昧な言葉でしか表現できなかったり、
カチリとはまる言葉を当てはめられていなかったかもしれない。

何が面白かったか、何が面白くなかったか。
具体的に説明するように意識的にブログは書くように
しているので、そういう所は昔よりは上達しているかも
しれない。


■演出について

今回は、本当にてらしーを信じて演出をお任せしました。
私の思いつかない表現を出してくれて、私も本当に
面白かった。
その中で、細かい所ではなく、大きな演出として、
どうしてもやりたかったのが客入れの演出。

これは昔からこういう感じのはやってみたいという
思いがあったので、今回やらせてもらえて本当によかった。

ちなみに客入れの演出は台本にはありません。
私の想像で、桐子のアパートに住んでいる、他の人の
気配をさせてみたかったということ。
ラジオは、私がラジオが好きなので、表現として
使いやすかったということ。

ラジオは、実際のラジオを置くことも思ったんだけど、
(見た人からも言われたけど)
あくまでも舞台は桐子の部屋で、ラジオがなっているのは
隣の人の部屋から。だから、ラジオは出さない。
音だけの表現でちょっとわかり難かったり、難しかったり
したけど、個人的にはいい感じだったと思います。

そして、もう一つはアンケート。
アンケートも、これも作品を決めたときにこうしよう、
って決めたものです。書いていて楽しいアンケート。
思わず書いてしまうようなアンケート。
最後の最後まで、細かい所まで隙無く、今回は演出という
手を加えられたかなぁと思っています。

舞台セットも、本家のリスペクトで、それをシアターの
大きさや見え方に合わせてアレンジしました。
ダンボールで家具とか全部作りたいなとおもっていたので、
それが照明が入ってすごくそれっぽくなったので、
よかったなと思っています。

あーもう、話したらどんどん話すことが増えてきて、
辞められなくなるのが本当にさみしい。
でもほんとに、楽しかったことばっかりで、いい座組で
ありがたいと思っています。

また、次を考えているけれど、本当に次はハードルが
高いなぁって思ってます。何をやってもだめは気は
しているんだけど、でも、実験リーグなので、失敗しても
挑戦したことを褒めたい。失敗してもいいんだっていう
ことをどんどん体験して欲しい。私も失敗してばっかり
だったし。下手だし(笑)


本当に今回は、全然悔いが無くて、ここはもっとこうした
方がよかったとか、実はこうだったんじゃないかとか、
そういうのが全然出てこなくて、いい公演だったなぁと
思います。大変だったけど、それもひっくるめて全部
本当に楽しかった。
私は、8年かかって、ようやくここ富山で、仲間を
作ることができた。本当に良かったです。

また、私はきっと演劇をつくります。
どうかまた、演劇を、わたしを観に来てください。
シアターで、これからも待っています。



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