芝居を手にした黄兎の日々

芝居を再び手にした私が繰り広げる、やや外れた日々。
でも、きっと面白い日々に違いない。
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(OFC)今、見せられるもの

小屋入りしました。帰ってきたのが23時。
明日の支度など、いろいろやらなければいけないことがあるけれど、
なぜかパソコンの前にいます。


明日、本番です。


いろんなことがありすぎて思い出せません。
辛い事が多かったということは覚えています。
でもそれが何だったか、思い出せないくらいになっています。いい意味で。


私はいつも一人だと思います。
日常生活していても、たくさんの人たちに囲まれていても。
誰かに言われました。
「生き方が強いから、強く見えるんだと思う、舞台の上でも。
そしてあなたは今までずっとそうで、これからもそうだ。」と。


沢山の人に支えられてここに実際はいるのだけれど、
人に頼って生きたくは無い、といつも思う。
何でもできればいいってもんじゃないけれど、何でも自分でやらなきゃって
思ってしまう。
ずっとだ。
それは今までずっと変わらないだろうし、これからも変わらないと思う。
それが<私>だからだ。


いつまで経っても自分を好きになれずに、でも常に誰かには
愛して欲しくて、誰かに自分を見ていて欲しくて、
それがあるから舞台から離れられない。
舞台をやっていれば、誰かは私を見てくれる、舞台上で、
袖から、客席から。
物理的に見るということではく、精神的に。
誰一人として私を見てくれなくなったら、それは私が舞台を、芝居を、役者を辞める時だ。


プロの役者として芝居をしていきたいというのは、
私が一生芝居をやって生きたいと思ったからだ。
その一つの方法が「プロになる」ということだったのだ。
だから、今はプロになることだけが全てではない。
その先に、ずっと先に繋がって行くかどうかなのだ。
40になっても50になっても芝居を続けていたい。
その為の一つの道がプロだったわけである。



「自立した芝居をしたがっている。
自分だけで芝居を完結しようとしている。」
そんなダメだしを何回も貰った。
技術的にどうこうではない。
私が人を信用できていないからだと思う。
だから、自立した芝居をしているときは、人を信用できて
いないときだ。
それができるようになったら、私はもう少しまた変わると思う。


「お前には優しさがない。だから芝居も荒いんだよ。
こういうところで人柄がでるんだよ。」


と舞台監督さんに言われた。
優しさは無いと思う。そうしてしまったら本当に私はすごい
苦しむことになると思う。あんまり良くない方向へ。
かなり悔しいと思うけれど、じゃあ、そういわれて優しくなろうとか
思えない。素直じゃないのもあるけれど、そんな人に
なりたいとあんまり思わない部分が大きいかもしれない。
私がなりたいのはそういう人じゃない、多分。



舞台をやっていると、やっている間だけは、何となく
一人じゃない感じがする。
そういう所に甘えて舞台が好きっていうのもあると思う。
誰かが見ていてくれるだろうから。
そんなどうしようもない人なのだ、私は。


でも、そんなどうしようもないところしか私には見せるものがない。
見せられるものが無い。
悔しいけれど、そういうことくらいしか私には無い。


明日見せられるものは、そんなものです。
私です。私を観に来てください。



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