芝居を手にした黄兎の日々

芝居を再び手にした私が繰り広げる、やや外れた日々。
でも、きっと面白い日々に違いない。
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<N>養成所進級審査

新年が明けて初めての演技は、毎年恒例の進級審査。めでたいのかめでたくないのか、謎である。

今年は去年より上のクラスということで、課題もそれなりのものになってきている。いつものように先渡しの演技課題と、当日の当日課題が課せられた。

今年の先渡しは、セリフが既に用意されているものを演じる課題と、自分で自由に創作する課題の2つがあった。そして当日課題は、セリフを演じなさいというものと、フリートーク。フリートークはくじ引きでお題を選び、それについて話す。くじを引いてから考える時間もあまりなく、それが緊張を誘う。もちろんフリートークのお題は一人一人違うもの。

フリートークの制限時間は30秒。待機場所に座っているので、ストップウォッチは使えない。しかし、30秒という感覚は、私がやっているラジオ「うさぎの時間」のOPトークの秒数と同じなのである。ラジオをやってきて良かったなぁと思った瞬間である。自分のやってきたものがプラスになってきたのは良いことだと思う。欲を言えば、もっと中身を考えて、相手に伝えることができればなと思った。

そして先渡しの課題なのだが、やってしまった。セリフが飛んだのである。
舞台でもセリフが飛ぶことはよくある。だから、それ自体については、「あー、今セリフ出てこない。」と冷静なのだが、それと同時に、つけていた動きが止まってしまったのだ。練習不足の点も反省すべきところなのだが、それ以上にセリフが飛んだとき、動きでカバーできなかったのがよくなかったと思う。
結局適当につなぎましたが……。

部分部分反省すべき点はあったが、審査を受けていてとても面白かった。観ていてくれる人がいる。そして、その人たちに伝えるというのがとても楽しかったのだ。今回はこの審査をとても楽しく終えることができたので、それが一番大きかったと思う。
結果は後から。
どんな結果が出ても後悔しないと思うくらいだったので、いい経験になったと思う。
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<N>養成所稽古第24回目

今日から本格的に新しい台本に入る。といっても、最初は本読みから。

配役を決めながら本読みを進めていく。
が、テンポが悪い。
台本が喜劇というか、コント風なので、テンポが遅い、間が悪いと本当につまらない。緩急も無くただただセリフがはかれている。
最初の段階でここまでいうのはどうかとも思うのだが、間やテンポに関しては、本読みの段階でできていないと、いざセリフをいれて立ち稽古となると、セリフを出す事に一生懸命になってしまって、間など考えている余裕などない。

さらに、最初の本読み辺りで、その人のセンスがわかる。間やテンポを考えたり、すぐに変えて読んだりというのはできる人とできない人の差がはっきりでる。

しゃべりの口調というのは、その人個人の日常生活が結構関係している。だから、全く違うような話し方をするのは難しいのだが、間は違う。間は自分で意識すれば相手の語尾にぶつけたり、感情から間をあけたりすることができる。そこはセンスも多少あるが、意識すれば演出に沿うことは可能だと思う。そこを意識するかどうかで、変わってくる。

ただ、相手のテンポに合わせることもしなくてはいけないときもある。自分だけテンポが早く、いいと思っていても、全体的に良くなければいけない。プチフレの今やっている芝居の演出も、
<strong>「役者1人1人が100%の力を出しても、それが全体でも100%になるとは限らない。」</strong>といっていた。同じレベル同士なら比較的やりやすいと思うが、そうでない場合、自分の力がどの程度なのか自分で知り、力加減を使えるようになることも必要だろう。
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<N>養成所稽古第23回目

今日で今まで使っていたテレビドラマの台本が終わった。しばらく養成所にきていなかった私だったが、今日初めてやったシーンが、終わりだった。最後の仕上げということでやったのだが、3回ほどやってOKが出た。

あまり練習できていなくて、自分的にはあまりよいとは思えなかったのだが、形的にOKだったのだろうか。それだけでOKをだされていたのも納得できないし、それでいいのかと思ってしまう。もちろん、あまりにも私の芝居がヘボ過ぎて諦められたということも考えられる。どちらにしても、全体的にそうれはどうなのかという感じだった。

そして、次の台本に入る。
次に渡された台本は、あの「フローズン・ビーチ」を書いていたケラリーノ・サンドロヴィッチ。短編なのだが、面白い。まさかケラさんの台本が出てくるとは思っていなかったので、かなり驚いた。が、台本は面白いので、やりたい度はかなり上昇している。
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<N>養成所稽古第22回目

「淋しい」という感情に入りすぎてはいけない。
ナレーションも一歩引いたものにする。

自分の中では初歩的なことなのに、実際の発表が終わってからその事に気付く。久しぶりに養成所に来たが、全体的にみてさほど変わっている様子は無い。最近養成所を休みがちになっていて、日を空けてくるたびに、周りはどれくらい上手くなっているのかなと不安になるが、実際はそうでないことが多い。今回もそうだった。

養成所では、新しいことを発見できる機会が減ってきた。駄目出しが単調なのか、私が発見できないのか。逆に、自分ができていると思った事が実は案外できていなかったということには気付く。「淋しいという感情に入り過ぎない」 というのも、去年言われていたことだ。

一度できたり、発見すると、その後はなかなか気付けないことが多い。が、養成所では、新しい指摘としてそれが出される。そろそろ自分の芝居を一度振り返る時期にきているのかもしれない。
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<N>養成所稽古第21回目

1ヶ月ぶりの養成所。教育実習ということもあったし、また、自分が本当に芝居をしたいのか、自分の芝居というのはどんなものだっただろう…などと迷っていたこともあって、試しに1ヶ月、芝居から離れてみることにした。その結果を少しでも感じる日でもあったと思う。

教育実習に行っていた1ヶ月間。芝居とはほとんど無縁の世界だった。そんな実習の中で、1度だけ、子どもたちを前に、本を読み聞かせるという機会をもらった。

子どもたちの反応は素直である。面白ければ笑うし、つまらなければこちらをみてくれない。選んだ話が面白いものであったため、子どもたちの反応もそれなりにあったと思う。しかし、本を読んでいる瞬間、なんで自分はこんなに拙い読み方しかできないんだろう。もっと子どもたちを喜ばせるような読み方をしたい。上手くなりたいと強く思った。それは、芝居についても同じだと思う。

暫く芝居から離れていても、子どもたちの放つ音色はどうだろう。行動は。などと、見てしまっている自分がいた。例え離れていても、やっぱり自分は芝居をやりたいのだと再確認した。

養成所に戻って、久しぶりに朗読の課題をやった。結果は、見事に「止まったまま」と講師に言われてしまった。1ヶ月の間が空いていたとはいえ、自分の成長の無さがくやしいと思った。

しかし、私はこの1ヶ月、芝居をしなくて、こんなに他の人と差ができて、技術も衰えていたということを後悔していない。それ以上に、1ヶ月離れても、やっぱり芝居を続けたい、好きだという思いを再確認できたことの方が、私にとっては大切だった。
技術は時間をかければなんとかなる。でも、気持ちは時間をかけてもどうにもならないこともある。そんな気持ちを、私は1ヶ月で見つけられたということで満足している。

これから、大学のサークルで芝居の練習が始まる。
今度は、自分の思った通りに。
今度は、自分のために。
誰かのために何かをするために、まず、自分のためにたくさんのことをしてあげたい。
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<N>養成所稽古第20回目

久しぶりに養成所へ。前回から大分この日記も間が空いているが、大学のゼミ合宿などで行っていない日が増えているからだ。私だけでなく最近は来ない人が増えてきている。それぞれの都合があると思うのだが、最初の稽古のときの 3分の2くらいだろうか。今日が雨だったせいかもしれないが。

いつものように朗読と台本をやる。ところが、朗読を終えた時点でちょっとした事件が。考え方やクラスの感じ方などで論争が起きたのである。(といってもそれほどすごいわけでもない)

<strong>「何でもっと皆手を挙げて積極的にならないのか。なかなか手を上げない人を待つ時間で、もっと自分が勉強できる時間を減らすのは納得できない。」 </strong>

多分こんなことだと思う。
確かにこのクラスはそんなに積極的ではないと思う。私もあまり最初から手を挙げて発表する方ではないので、その人にとってはやっかいな一人かもしれないが。でも、これはその人それぞれの性格や考え方の違いだと思う。私はじっくり人のやり方をみて、自分なりのやり方を試したりする方である。多分その人はとにかく回数をこなして、講師にアドバイスをもらって上手くなりたいという感じだと思う。講師もこんな感じのことをいっていたと思う。

ただ、手を挙げることが目的にはなっていないかということも言っていた。回数が少なくても、発表するごとに何かを得ている人もいる。たくさんやっていても、上達しない人もいる。

さらに
<strong>「(養成所が無い)1週間何をしてるんですか?」</strong>
ということも言っていた。

これもそれぞれだと私は思う。どうすごす事が良いかという人の価値観かなと思う。1週間ずっと芝居の練習をしていたからって絶対上手くなるとは思えないし、それよりも重要なことがあると思う。
私は、芝居の練習もある程度は必要だと思うけれど、それ以上に、自分が過ごせる時間で経験できることの方が重要だと思う。例えば大学生の私なら、自由に過ごせる時間が多いし、教育学部だから体験できる、教育実習も芝居の勉強につながると思う。子役もできるようになりたいと思うから、小学校に行けば、子供達の生活の中での音や行動なんかもみれるのは勉強になる。自分の日々をどう芝居につなげていくか。芝居の勉強は、日常生活そのものだと私は思う。
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<N>養成所稽古第19回目

先週養成所を休んでの今日の稽古。 2週間近く芝居から離れていて、不安な部分が大きかった。1回の稽古の間にどれだけ周りの人が変わっていたのか…稽古開始まで微妙な感じだった。正直始まって私の心配はあまり必要なかったが…。

前回、朗読(小説)のキャラクターをやって、上手くいかなかった。そして今回は、語り(地の文)を読むことにした。この語りも、前にやったときは表現の部分を指摘されていた。今回はリベンジ(!?)である。

前の人の語りなどをきいて、ポイントを抑える。前回どこまでやっていたのかわからないので、今回、新しく入った部分を私は始めてやった。他の人は2回目である。

キャラクターはそれぞれ工夫して、声を変えるなどしていた。中には「どうだろう?」と思う人もいたが、そういう人のは自分の中での良くない例として見ることにした。案の定講師に指摘されていたが…。

今日は情景をできるだけ詳しく描写しながら読んだ。自分の中では、有りか無しか微妙なラインである。読んだのが後半だったせいか、何も言われず交代。自分的にはもう少し明るく読めばよかったかなと思った。先の暗めの雰囲気を先読みしてしまっていたかもしれない。

時間をかなりあけたせいか、前回語りをやったときより気負いはなかった。こう読まなければという意識が無い方が断然よいと思う。今度はキャラクターも頑張ってつかんでいきたい。
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<N>養成所稽古第18回目

台本などをもらって、読み込み、考える→それを行動に移してみる、解放する。
これはわかっているのだが、なかなか苦しいものである。特に今の自分は、養成所での講師との方向性が少し違っているようなので、やるのに相当の力を使っているように感じられる。

キャラクターの作り方も、とにかくわかりやすく、聞いている人にわかるように、どんな方法を使っても(声を変えるなど)表現していくような感じである。それがなかなかできないのが悔しい。自分の考え方を少し広げないと、自分のやっていることはなかなか変化していかない。そこで自分の考えを通すべきか、柔軟にするのかで苦しんでいる。

頭では、この場合、講師の要求にできるだけ…という方がよいとわかっているのだが、そうしてしまうと、自分の今までやってきたものはなんだったのだろうという風に思ってしまう。自分を押し殺すことも必要なのだとは思うが、なかなか実行できないのは、まだ自分が弱かったり、怖かったりするからなのだと思う。
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<N>養成所稽古第17回目

朗読2回目。今回は丁寧に見てもらえそうだったので、基本となるであろう、語り(地の文)をみてもらった。指摘としては
「クール過ぎ。もっと描いても良い。(感情を入れても良い)」
ということだった。

確かに素読み程度のもので、まだしっかりと情景などを描けていないと感じた。読み込んでいないせいもあると思う。けれど、私としてはどの程度地の文に感情を入れて読んでも良いのかわからなかったというのもある。

1度指摘されて、続きを読んだときは何も言われなかったので、最低限それくらいの感情を入れても良いのだと分かった。そうなると、自分で思っているよりも感情を入れてもよさそうだった。

しかし、ここで気にしなければと思ったのは、情景を描写したり、感情を入れていくことと、変な抑揚をつけるのは違うということである。他の人の朗読を聴いていると、文頭の音が低く入ったり、変な部分で上がったりして気持ちの悪い抑揚がついたりしている。描写しなければという意識があるのかわからないが、変な抑揚をつければ(自分の気持ちの良い抑揚をつければ)よいというものではないと思う。この抑揚と、描写としての感情などと間違えないように読む必要があると思う。

また、1人で地の文(語り)と会話文(登場キャラクター)をこれからやっていく。そうなると、あまり語りで感情を入れすぎると会話文と差がなくなってしまうのではないかとも思う。そのことも考えながらやっていきたいと思う。
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<N>養成所稽古第16回目

1週間の休みをはさんでの養成所。ここから後半戦に入る。今日から課題が新しくなった。まずは朗読。今回は前回と違い、基本的な読みの技術など、基本をみていくそうだ。ただ、面白いので、出てくるいくつかのキャラクターを声も使って演じ分けるそうだ。いつもの私ならここで「え?またキャラか」と思うのだが、今回は違う。

今までそういう演じ分けをきっちりやったことがなかったので、その勉強だと思っている。分かりやすく演じ分けていくというのは思ったより難しいし、やりきらないと中途半端なもので終わってしまう。また、いろんなキャラクターを演じ分ける(同じ作品内のキャラクター以外でも)のがこれからの私の課題でもあるので、それぞれのキャラクターの呼吸使いも勉強したいと、自分の中では前向きである。

今回は最初ということで、一通り交代で読んでみる。出てくるダメだしも、前回朗読をやったときと同じような基本である。
<strong>音を立てるところは立てる。
頭を高く入る。(低く入らない)
抑揚をつけすぎない。(変なところで上がらない)</strong>
まだキャラクターの演じ分けなどには入らないのだが、呼吸を変えることで、それぞれのキャラが違うものになるという風に言われていた。

頭では分かっていても、なかなか難しい。自分では変えているつもりでも、人が聞くとどうしても同じに聞こえてしまう。こういうことが起こるとき、本当に自分の引出しが少ないなあと思う。人がいればいるだけ、その人の息づかいというものがある。どれだけ多くのものを見たり聞いたりして、自分の中にインプットできるか。とにかく今後は私のキャパを広げていくが必要だ。
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よく読まれてます☆ どうでもいいことから壮大なことまで答えてます。











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